金子文子シリーズ その39

「でもくらし つちをたがやし たねをまき さくもつつくる どみんせいかつ」

さて、今回はいきなり石川三四郎登場。
気が向いて高島野十郎自画像風に肖像画を描いてはみたがイマイチ、つうかイマジュウだぞ。
ところで木下尚江に「石川は、翁に対しては殆ど駄々ッ児のやうに親しんで居た」と書かれた三四郎と田中正造翁の間柄だけど、三四郎が田中正造の思い出について記した文章の中で一際強く心に残ってる部分がある。

『ある時翁は、何度目かの官吏侮辱罪で栃木の監獄に入り、木下と私と面会に行くと、最初に要求されたのが聖書でありました。私達が種々の注釈書によって聖書の研究をするのに対し、翁はただ自分で直読するのでした。しかし、その解釈は活きていました。翁は善いと思ったことは直ぐに実行に移し表明するのを常としました。ところがその直感に就いての説明には、いつも苦しみました。ある時、翁は谷中村のある農家に「人道教会」という看板を掲げました。それは今までの政治運動をきっぱり止めて、人道の戦いと修業とを始めるというのでありました。ところが、その「人道」とは何ぞや、ということになって簡単明瞭な説明が見当たらず、私が訪問すると、直ぐにその質問です。私が「人道とは人情を尽すの道ということです」というと膝を打って喜びました。それから私が、人情の説明にとりかかると、翁はそれを制して言いました、「いや人情ということで十分です。それ以上に付け加える必要はありません」。まことに単刀直入を喜ぶのでありました。』(石川三四郎著作集 第8巻)