「天国に 地獄がほれて ほれられて 結婚したと カナリアうたう」
えっと、余計なお世話だと本当に思いますが、ちょいとばかし話をすると、18〜19世紀のイギリスに画家で詩人のウイリアム・ブレイクっていう人がいて、その詩画集に「天国と地獄の結婚」っていうのがある。
これがとってもいい。
で、ホイットマンとか読んでた文子はきっとブレイクも読んでいて、そいでもってけっこう気に入ってたんじゃなかろうか...と手前勝手に思いながら筆を動かしてたら、上のような絵ができちまったというわけだぞ。
「天国に 地獄がほれて ほれられて 結婚したと カナリアうたう」
えっと、余計なお世話だと本当に思いますが、ちょいとばかし話をすると、18〜19世紀のイギリスに画家で詩人のウイリアム・ブレイクっていう人がいて、その詩画集に「天国と地獄の結婚」っていうのがある。
これがとってもいい。
で、ホイットマンとか読んでた文子はきっとブレイクも読んでいて、そいでもってけっこう気に入ってたんじゃなかろうか...と手前勝手に思いながら筆を動かしてたら、上のような絵ができちまったというわけだぞ。
「貧乏は 耐えてやるけど 私がね 私でおれぬ それは許せぬ」
さて、ここで”ツルシュン”こと鶴見俊輔登場!
人間はいつ自分になるのか。
「人間は、生まれた時に、いきをする。手足を動かす。その時に木の枝などにぶらさがらせれば、結構ぶら下がれるそうだ。手をひいて歩かせれば歩けるそうだ。
そういうことは、生まれてからすぐにまた忘れてしまうけれども、それにしても、私たちが自然に知ってること、なんとなく覚えてしまっていることは、じつにたくさんあるものだ。
そんなふうにして、なんとなく私たちはことばを覚え、人間としてのいろいろのしぐさを覚えてしまう。それでけっこう暮らせる。
ところがそのうちに、何か変なことが起こる。いままで自然に覚えたことでは、どうにもそこを超えられない。
今まで自分にそなわった力では、それとかくとうしても、組みふせることができない。そういう恐ろしさの中から、あたらしい自分が生まれる。」
(「人が生まれる」鶴見俊輔)
続いて白川静さん登場!
「孔子の世系についての『史記』などにしるす物語は、すべて虚構である。孔子はおそらく、名もない巫女の子として、早く孤児となり、非賎のうちに成長したのであろう。そしてそのことが、人間についてはじめて深い凝視を寄せたこの偉大な哲人を生み出したのであろう。思想は富貴の身分から生まれるものではない。」
(「孔子伝」白川静)
ううう、二人とも、なんちゅう歯切れのいいシャキッとした物言い。
読むだけで背筋がぐいと伸び、何やら力が湧いてくるばい。
春日八郎「なにしてんの?」
西郷「ちょと休憩」
春「それ、かっちょいいね」
西「あ、これ、チョンマゲドン」
春「チョンマゲドン...?変な名前...」
西「....」
春「スピード、どれくらいでんの?」
西「600キロ」
春「早っ...」
「で、燃料は?ガソリン?電気?」
西「戊辰戦争で果てた東北武士の怨念」
春「怖っ...」
西「めちゃくちゃよく燃焼するんだ」
春「あ、そう...」
「つか、あんたって、その東北武士を殺した側の棟梁じゃん?」
西「うん...」
春「で、こんな辺鄙な寒村に何しにきたん?」
西「慰霊...討たれて亡くなった侍たちの」
春「はん、罪滅ぼしっていうやつかい、へんてこな車に乗ってさ...」
西「車じゃない、チョンマゲドンだ」
春「まあ、どっちでもいいさ...」
「ところで俺、歌うたいなんだ」
西「ああ、そう...」
春「一曲聞いてくれるかい?」
西「喜んで」
春「♪粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪 死んだはずだよ お富さん〜♪」
西「ああ、なんか島の唄みたい、懐かしいなあ...」