「道標」(新・西郷その5)

「ねえ、もっともっと飛ばしてよ!」

「おお、わかった!」

「ところでこのオートバイ、なんで走ってんの?」

「何でって、走ってなきゃ倒れちまうからさ」

「そうじゃなくて、どんな燃料で走ってるのかって聞いてんの」

「あ、それは花さ」

「え、花?」

「ああ、花を摘んでこのでっかい李朝の白磁の壺に放り込むだろ」

「ええ」

「そしたらキムチみたいに発酵して強烈なエネルギーを出すんだ」

「ひゃあ」

「それで走ってる。時速千キロだ。リニアモーターカーよりずっと早い」

「へえ、そうなんだー。で、私たちどこ行ってんの?」

「そりゃあ花がいっぱい咲いてるとこさ」

「ふーん...」
「あ、白い花!」

「おお、道しるべだ」
「方角は間違っていないぞ」

赤いハンマーの男

20代半ば、パリに暮らしてた頃の同居人は、心中に思った事はすなわち外に出さないと仕様がないという、パリっとした(”新しい”または”立派”っていう意味ではなくて、”パリ育ち”という意)人間であったので、油断してるとしばしば「あわわわ。。。」とたじろいでしまうようなことを唐突に云われたりした。
その日、いつものように絵を描いてると、「見て」といって、新聞みたいなものを渡された。
見ると、新聞だった。
しかしそれはル・モンドでもリベラシオンでもなくて、日本語の新聞、パリで月に一回発刊されてる日本人向けのちいさな新聞だった。

「あなた九州の情報誌にエッセイ書いてたでしょう?この新聞にも何か記事、書かせてもらいなさいよ。そしたらちょっとは生活の足しになるかもしれない」

たまにバイトをする以外、のんきに(そうではないが、そう見えなくもない)絵ばかり描いているような男は、毎日、大学に通い、四苦八苦してレポートを書き、週の半分は夕方から朝までディスコで働く女には、こういう場合、立場上逆らえなかった。

ということで、(望みは薄そうだし気は進まないんだけど)以前書いた文章を切り抜いたものを集めて新聞社(ってほど大げさなもんじゃ全然ないんだけど)に持って行くことにした。

持って行くと、そこで働いてる、道場でいうと師範代みたいな強面の男が出て来た。
ちょっとびびった。
男は、ちょこざいなやつが来たなあといった体(てい)で椅子を勧めると、自分も向かいに座り、早速読みはじめた。
そうして、ささっと一気に読んでしまうと「あー、いいねえ、じゃあ、今度何か書いてみなよ」とにこにこ顔でいった。

その男が、マコトさんだ。
「アニキいいーっ」と呼ぶような年上の男が今までの人生で何人かいるけど、そのひとりである。

出逢った当時で40歳前後じゃなかったろうか...とっても魅力的な、秋田のなまはげを温和にしたような容貌をしていて(褒め言葉になってないけど)、聞くところによれば新潟の出身ということだった。
(北の日本海側にはこんな顔の生きものが多いのだろうか...)
とはいっても、その時はすでに新潟に暮らした時間よりパリに住んでる時間が長いみたいだった。

いろんなこと知っててたくさん話しをしてくれるのだが、そこいらへんのインテリと違って、その内容にはいつも土がついていた。
”土がついてた”っていったってむろん、相撲で負けた話しを好んでしてるっていうのじゃない。
はなすことがしっかりと日常や経験に根ざしており、赤くて濃い血が通っていた、ということだ。

たとえば、雑誌などででフェラ・クティのこと読むとする。
そこにはたいてい、「ナイジェリアのミュージシャンで黒人解放運動家、アフロ・ビートの創始者として有名である。そのディスコグラフィーは...」ってなことが書いてあるのが常だ。

けど、マコトさんがはなすとこうなる。

「こうじくん、ほらこれ見てごらんよ、すごいだろー!」
(見た事ないようなフェラのアルバムを一枚を差し出す)
「わあ、いかしたジャケットですねー」
「よく、見てみなーっ」
「は、はい...」
「サックス吹きながら彼の乳首、ピーンとおっ立ってるやろう!」
「えっ、乳首?」
「そうっ!こうでなくちゃ、いかんよ...これが、アフロ・ビートさ!」

男の乳首について長く語ったというのは後にも先にもこの時だけだ。
(つうか、たいていは、一生に一度も話さないんじゃなかろうか...)

さらに音楽のはなしを続けるなら...

「こうじくん、サックス奏者をうんちに例えるとする」
「えーっ、うんちにですか?」
「うん、まず、阿部薫。これはピーピーキュルキュル、下痢だな」
「はははは...」
「コルトレーンはあれは便秘だ。”うーん、うーん”て懸命に絞り出す感じ」
「た、たしかに」
「で、もって、ソニー・ロリンズ!あれは健康な子供のうんちだ。ぶっといやつが、どんどん出てくる」
「おおー」

と、こんな感じの会話がずんずん続く。
会話っちゅうか、マコトさんが怒濤のごとくまくしたてるあれやこれやに、こちらは「おおーっ」とか、「ひゃあー」とか合いの手をはさむだけだ。

で、マコトさん、新聞の編集やってるが、ジャズドラムもドカドカたたく。
ちょっとした趣味っていうんじゃなくて、セミプロで、パリ在住のトランペッター沖至といっしょに組んで演奏したり、別にCDも出している。
何度かライブ見に行ったけど、そりゃあ、すごい。
佳境になると浪曲みたいなやつを唸りながらたたくのだ。
それがなんともエモーショナルで「ひとり天井桟敷」とか「ワンマン状況劇場」とか勝手に心で呼んでいた。

さらに追い打ちをかけるなら、料理の腕もすごい。
あるものでささっとも作れば、時間をかけてじっくりも作る。
旬の素材もつかえば、缶詰や冷凍物もつかう。
健康に良さそうなの、悪そうなの、あんまし気にしない。
和洋中、アラブ、アフリカ、インドに南米...
いろんなとこの料理を自分独自にアレンジして料理する。

そいでもって、件の新聞に料理のレシピを連載してたんだけど、これがいいっ。
誰かさんみたいに見栄えのいい写真とおしゃれな文章でちんたら紹介するのではないし、かといって、”あれが何グラムで、これが何グラム...”といった、かしこまったものでもない。
手描きのシンプルなイラストだけ付けて、歯切れのいい文章でタタタタターッと綴る。

例えば、”魚を使ったタルタル”

「最近レストランで前菜として流行っているのが魚を使ったタルタル。魚はタイやスズキやサケなど。生で食べるのだから活きがよい魚を使いたい。養殖ものなら赤ラベルlabel rougeがおすすめ。下ろしたら、中骨を毛抜きなどを使って慎重に取り除き、冷蔵庫で冷たくしておく。
 エシャロット適量(多めがうまい)を細かくみじん切りにする。ショウガとかバジリコとかアネットとかチャービルとか好みのハーブやスパイスを、おろしたり、みじんに切ったりする。冷蔵庫から魚のおろし身を取り出し、包丁で切るようにたたいて、エシャロット、ハーブ類をフォークを使って混ぜ入れ、塩、コショウで味を調える。これを冷たくしておいた皿にこんもりと盛り付け、脇に、みじんに切ったシブレットをのせたフレッシュチーズ、オリーブ油、ルッコラ菜などのサラダを添える。」(真)

ねーっ、かっちょいいやろーっ?
のっけからアクセル全開、タルタルでもタラタラしない太宰ばりのスピード感!
文章の活きがいいのだ。
よしんば料理作んなくても、ただの読み物としても面白い。

で、このレシピの連載、あまりにいいので以前、日本の出版社から2冊の単行本になって出版されてたんだけど、
このほど、ひとまとめに一冊の文庫本となって出版されることになった。
    ↓
「パリっ子の食卓 —フランスのふつうの家庭料理のレシピノート」佐藤真

ところで、マコトさんがドラムを叩くトリオの名前は、MARTEAU ROUGE。
和訳すると”赤いハンマー”、
プロレタリアートの象徴だ。

彼が親しみを込めて”パリっ子”と呼ぶこの都市の生活者は、日本のファッション雑誌に登場するような、おしゃれでスノッブスノッブした”パリジャン”や”パリジェンヌ”とは趣を異にするように思える。

どちらかというと貧しい部類、油臭くて埃にまみれた”労働者”だ。
そんな彼らが日がな一日額に汗して働いた後、すっかり空いた胃袋を満たすような料理、
そのレシピ本がこれである。

「えーっ、違うよ、こうじくん、おれ、そんな汗臭いの嫌いだって。俺のいう”パリっ子”っていうのはさあ....」

と、いうことで、マコトさんの話しの続きが聞きたかったら、この本、ぜひ買って読んでみてください。
すごく、味わい深い本です。

*以上、マコトさんの新しく出た文庫本を宣伝すべく以前ブログに書いたものに加筆、再録いたしました。
 また、冒頭のイカの写真は数年前、対馬行った時に撮ったもので、この本とは関係ないです。

「ロルカ節」(新・西郷その4)

「ねえ、西郷さん、何やってんの?」

「坊主のポーズをポーズ中」

「ポーズしてないで、早く再生してよ、官軍に囲まれてるじゃない」

「でもさ、そういう君は呑気に座って何してんのさ」

「あら、ただ座ってるんじゃないわよ、オシッコ我慢してるのよ」

「え、なんで?」

「白虎が火焔攻撃なら、あたしは放水攻撃よ!」

「おお!」

西郷、痛く感激し、いきなり再生、さらに3倍速の早回し。
攻め来る輩を一網打尽!