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赤いハンマーの男

20代半ば、パリに暮らしてた頃の同居人は、心中に思った事はすなわち外に出さないと仕様がないという、パリっとした(”新しい”または”立派”っていう意味ではなくて、”パリ育ち”という意)人間であったので、油断してるとしばしば「あわわわ。。。」とたじろいでしまうようなことを唐突に云われたりした。
その日、いつものように絵を描いてると、「見て」といって、新聞みたいなものを渡された。
見ると、新聞だった。
しかしそれはル・モンドでもリベラシオンでもなくて、日本語の新聞、パリで月に一回発刊されてる日本人向けのちいさな新聞だった。

「あなた九州の情報誌にエッセイ書いてたでしょう?この新聞にも何か記事、書かせてもらいなさいよ。そしたらちょっとは生活の足しになるかもしれない」

たまにバイトをする以外、のんきに(そうではないが、そう見えなくもない)絵ばかり描いているような男は、毎日、大学に通い、四苦八苦してレポートを書き、週の半分は夕方から朝までディスコで働く女には、こういう場合、立場上逆らえなかった。

ということで、(望みは薄そうだし気は進まないんだけど)以前書いた文章を切り抜いたものを集めて新聞社(ってほど大げさなもんじゃ全然ないんだけど)に持って行くことにした。

持って行くと、そこで働いてる、道場でいうと師範代みたいな強面の男が出て来た。
ちょっとびびった。
男は、ちょこざいなやつが来たなあといった体(てい)で椅子を勧めると、自分も向かいに座り、早速読みはじめた。
そうして、ささっと一気に読んでしまうと「あー、いいねえ、じゃあ、今度何か書いてみなよ」とにこにこ顔でいった。

その男が、マコトさんだ。
「アニキいいーっ」と呼ぶような年上の男が今までの人生で何人かいるけど、そのひとりである。

出逢った当時で40歳前後じゃなかったろうか...とっても魅力的な、秋田のなまはげを温和にしたような容貌をしていて(褒め言葉になってないけど)、聞くところによれば新潟の出身ということだった。
(北の日本海側にはこんな顔の生きものが多いのだろうか...)
とはいっても、その時はすでに新潟に暮らした時間よりパリに住んでる時間が長いみたいだった。

いろんなこと知っててたくさん話しをしてくれるのだが、そこいらへんのインテリと違って、その内容にはいつも土がついていた。
”土がついてた”っていったってむろん、相撲で負けた話しを好んでしてるっていうのじゃない。
はなすことがしっかりと日常や経験に根ざしており、赤くて濃い血が通っていた、ということだ。

たとえば、雑誌などででフェラ・クティのこと読むとする。
そこにはたいてい、「ナイジェリアのミュージシャンで黒人解放運動家、アフロ・ビートの創始者として有名である。そのディスコグラフィーは...」ってなことが書いてあるのが常だ。

けど、マコトさんがはなすとこうなる。

「こうじくん、ほらこれ見てごらんよ、すごいだろー!」
(見た事ないようなフェラのアルバムを一枚を差し出す)
「わあ、いかしたジャケットですねー」
「よく、見てみなーっ」
「は、はい...」
「サックス吹きながら彼の乳首、ピーンとおっ立ってるやろう!」
「えっ、乳首?」
「そうっ!こうでなくちゃ、いかんよ...これが、アフロ・ビートさ!」

男の乳首について長く語ったというのは後にも先にもこの時だけだ。
(つうか、たいていは、一生に一度も話さないんじゃなかろうか...)

さらに音楽のはなしを続けるなら...

「こうじくん、サックス奏者をうんちに例えるとする」
「えーっ、うんちにですか?」
「うん、まず、阿部薫。これはピーピーキュルキュル、下痢だな」
「はははは...」
「コルトレーンはあれは便秘だ。”うーん、うーん”て懸命に絞り出す感じ」
「た、たしかに」
「で、もって、ソニー・ロリンズ!あれは健康な子供のうんちだ。ぶっといやつが、どんどん出てくる」
「おおー」

と、こんな感じの会話がずんずん続く。
会話っちゅうか、マコトさんが怒濤のごとくまくしたてるあれやこれやに、こちらは「おおーっ」とか、「ひゃあー」とか合いの手をはさむだけだ。

で、マコトさん、新聞の編集やってるが、ジャズドラムもドカドカたたく。
ちょっとした趣味っていうんじゃなくて、セミプロで、パリ在住のトランペッター沖至といっしょに組んで演奏したり、別にCDも出している。
何度かライブ見に行ったけど、そりゃあ、すごい。
佳境になると浪曲みたいなやつを唸りながらたたくのだ。
それがなんともエモーショナルで「ひとり天井桟敷」とか「ワンマン状況劇場」とか勝手に心で呼んでいた。

さらに追い打ちをかけるなら、料理の腕もすごい。
あるものでささっとも作れば、時間をかけてじっくりも作る。
旬の素材もつかえば、缶詰や冷凍物もつかう。
健康に良さそうなの、悪そうなの、あんまし気にしない。
和洋中、アラブ、アフリカ、インドに南米...
いろんなとこの料理を自分独自にアレンジして料理する。

そいでもって、件の新聞に料理のレシピを連載してたんだけど、これがいいっ。
誰かさんみたいに見栄えのいい写真とおしゃれな文章でちんたら紹介するのではないし、かといって、”あれが何グラムで、これが何グラム...”といった、かしこまったものでもない。
手描きのシンプルなイラストだけ付けて、歯切れのいい文章でタタタタターッと綴る。

例えば、”魚を使ったタルタル”

「最近レストランで前菜として流行っているのが魚を使ったタルタル。魚はタイやスズキやサケなど。生で食べるのだから活きがよい魚を使いたい。養殖ものなら赤ラベルlabel rougeがおすすめ。下ろしたら、中骨を毛抜きなどを使って慎重に取り除き、冷蔵庫で冷たくしておく。
 エシャロット適量(多めがうまい)を細かくみじん切りにする。ショウガとかバジリコとかアネットとかチャービルとか好みのハーブやスパイスを、おろしたり、みじんに切ったりする。冷蔵庫から魚のおろし身を取り出し、包丁で切るようにたたいて、エシャロット、ハーブ類をフォークを使って混ぜ入れ、塩、コショウで味を調える。これを冷たくしておいた皿にこんもりと盛り付け、脇に、みじんに切ったシブレットをのせたフレッシュチーズ、オリーブ油、ルッコラ菜などのサラダを添える。」(真)

ねーっ、かっちょいいやろーっ?
のっけからアクセル全開、タルタルでもタラタラしない太宰ばりのスピード感!
文章の活きがいいのだ。
よしんば料理作んなくても、ただの読み物としても面白い。

で、このレシピの連載、あまりにいいので以前、日本の出版社から2冊の単行本になって出版されてたんだけど、
このほど、ひとまとめに一冊の文庫本となって出版されることになった。
    ↓
「パリっ子の食卓 —フランスのふつうの家庭料理のレシピノート」佐藤真

ところで、マコトさんがドラムを叩くトリオの名前は、MARTEAU ROUGE。
和訳すると”赤いハンマー”、
プロレタリアートの象徴だ。

彼が親しみを込めて”パリっ子”と呼ぶこの都市の生活者は、日本のファッション雑誌に登場するような、おしゃれでスノッブスノッブした”パリジャン”や”パリジェンヌ”とは趣を異にするように思える。

どちらかというと貧しい部類、油臭くて埃にまみれた”労働者”だ。
そんな彼らが日がな一日額に汗して働いた後、すっかり空いた胃袋を満たすような料理、
そのレシピ本がこれである。

「えーっ、違うよ、こうじくん、おれ、そんな汗臭いの嫌いだって。俺のいう”パリっ子”っていうのはさあ....」

と、いうことで、マコトさんの話しの続きが聞きたかったら、この本、ぜひ買って読んでみてください。
すごく、味わい深い本です。

*以上、マコトさんの新しく出た文庫本を宣伝すべく以前ブログに書いたものに加筆、再録いたしました。
 また、冒頭のイカの写真は数年前、対馬行った時に撮ったもので、この本とは関係ないです。

「ロルカ節」(新・西郷その4)

「ねえ、西郷さん、何やってんの?」

「坊主のポーズをポーズ中」

「ポーズしてないで、早く再生してよ、官軍に囲まれてるじゃない」

「でもさ、そういう君は呑気に座って何してんのさ」

「あら、ただ座ってるんじゃないわよ、オシッコ我慢してるのよ」

「え、なんで?」

「白虎が火焔攻撃なら、あたしは放水攻撃よ!」

「おお!」

西郷、痛く感激し、いきなり再生、さらに3倍速の早回し。
攻め来る輩を一網打尽!

「菫」(新・西郷その3)

「あら、西郷くん、何してんの?」

「見ての通り、NYの一番高いペントハウスのジャグジー風呂でブロンド美女たちに囲まれてシャンパン飲んでるところ」

「あら、とてもそんな風には見えないけど...」

「実はここから温泉が湧き出てくるんで手で押さえてるのさ」

「ああ、そのお湯を使ってNYに高級銭湯作るって言う算段ね!」

「あ、それとはちょっと違います」

「あら、そうなの、がっかり...じゃあ、ただ押さえてるだけ?」

「そうでもないさ...実を言えば、ここに湯治場を作ろうと思ってる」

「湯治場?」

「うん、農閑期、みんなが労働の疲れを癒しに来れるように」

「ふうん、そうかー、ちょっとがっかり...あたしNYへ行きたかったなーっ」

「すまんすまん」

「ところで、手、真っ赤よ、熱くないの?」

「めちゃ熱い」

「だったらさっさと放しなさいよ」

「だってそうしたら、どばーって熱湯が吹き出して君にかかってしまう」

「あら、あたしのために?そうなの...ありがとう」

「ところでタンポポさん、名前をまだ聞いてなかった...」

「ああ、あたしの名前は菫。
春に生まれたからって、お父さんがつけてくれたの...」

「そう...いい名だ。」

「我らの畑に入るな」(新・西郷その1)

本日からいよいよ新・西郷さんシリーズの開始です。(”いよいよ”ってほどのもんじゃないですけど...)

このシリーズ、通算では64枚目になって、もはや150枚くらいあるので早いとこ個展をせんといかんけど、女の子の絵と違ってあんまし引き取り手がなさそうだし、絵を買ってもらわんことには生活がなりたたんし...と、バンバン進む筆の奥でちょっぴり悶々としてる、そんなシリーズです。(他の人にはどうでもいいことでしょうけど...)

ところで、兄貴分のライターでカメラマンの大野さんが、5月末から1週間ばかり沖縄へ行ってきた。

辺野古を拠点に、初日は土砂の積み出し港である琉球セメント安和桟橋で抗議に参加。
午後からは北部の東村高江へ移動し、ヘリパッド建設に抗議するテントで取材。
翌日は普天間で基地を案内してもらい、3日目は辺野古の海上に出て、カヌー隊と沖縄防衛局・海上保安庁との攻防を見守りつつ、削られ埋め立てられる予定の島を観察...

「思うことはいろいろあるけれど、しかし、伝える力のないことにもやもやしながら写真の整理をしています」とのこと。

かく言う西郷さんシリーズも、この”もやもや”が、描く動機のおっきなひとつになってるぞ。
新聞やテレビって、力はあるのに本当に大切なこと、ちっとも伝えてくんないですものね...

大野金繁/Facebook

「女たちのテロル」

去年の夏のこと「再来週、帰国するけん一緒に飲まん?」とイギリス住んで文章書いてるブレイディのみかこやんからメールがあった。
一年ぶりに再会し、互いの子供ら引き連れてエスニック料理の店に入る。
席に座りビールを注文するやいなや、大好きな金子文子のことを話し出した。

「あたしさー文子ってさ、生きとったら日本を代表する哲学者になっとったと思うっちゃん」

「えー、哲学者っていう感じやなかやろー、もっと自由やろ」

「もちろん、普通にいうような哲学者じゃなかとよ」

「うんうん、そうやねえ...俺は詩人とかになって欲しかったなあ」

「あーん、文子の歌、めちゃめちゃよかもんねー」

「よかよなぁ...」

てな感じで延々としゃべりまくりだ。
なにせ会うの久しぶりなんだから致し方ない。
子供らに「もう、いい加減いいっちゃない...食べようよ」
とたしなめられるまで続いた。

さて、その時、「今度、文子の本書くけん、あんたの絵使わせてよ」って話が出て、それでできたのが上の写真の本だ。

昨日から発売開始だそうです。
言うまでもなく、面白い。
最寄りの書店へ直行だ!

 

ギマタサン

大学卒業してしばらく塾の先生などをして食いつなぎながら教員目指して試験勉強してたらフランス人留学生と仲良くなって、彼女を頼りにパリに住み始めることになった。

地元長崎の高校教師になるのだと期待していた両親は阿修羅のごとくに怒った。
パリと長崎は何千里も離れてるのに、阿修羅の手がびょーんと伸びてきて腕や首筋に絡んでくるみたいだった。
日本的な情愛っていうやつは、こういう時はしんどいなあ...もっとさっぱりといかんもんかいな...とつくづく思った。(今では親不孝ものだったとちょっぴり反省)

さて、パリに住むったって、この国の言葉はちんぷんかんぷん。懐寂しくちゃんとした学校行くのは当面無理なので、同市が移民向けに町の公民館みたいなとこで開講しているフランス語講座に通うことにした。
北はロシアやブルガリア、南はアルゼンチンやマリ、いろんなとこからやってきたいろんな歳の連中が20人ばかりいた。

ギマタサンというパキスタンの青年と仲良くなった。当時24歳の自分から見てもずいぶんと幼い印象で、二十歳そこそこみたいな感じだった。
”英語は話さない”ことになっていたので、ごくごくわずかのフランス語の単語を並べて会話、つうか、「おれ、おまえに好意を持ってるぜ」という合図のやりとりを授業の前後なんかにやっていた。
「salut(よお!)」「ça va?(元気?)」「oui,ça va(うん、元気)」「fais chaud ,hein?(暑いよなあ)」「oui,très chaud(うん、めちゃ暑い)」
こんな、挨拶に毛が生えた程度の言葉のやりとりを、延々と繰り返しながら笑い合い、腕や肩なんかを突っつき合うのだ。

ある日のこと彼が自分を指差し「ギマタサン、ジャポネジャポネ...」と言いながらボールペンとノートを差し出した。
それで、”ギマタサン”と片仮名でノートの端っこに書いた。
しげしげと見ながら「c’est beau,c’est beau(美しい、美しい)」と言ってえらく喜んだ。
そしてしばらくすると今度は右腕を差し出して「ここにも書け」と催促するので、手首の上にも”ギマタサン”と書いた。

次の週に会うと、それはそのまま刺青になっていた。
彫り物上手なおじさんに頼み、カナ文字をなぞって刻んでもらったらしい。

彼は空港のレストランで働いていた。
数年稼いだら国へ帰るのだと言った。
「帰って何するのか」と聞いたら、眉根にシワよせたままニヤリ笑って「バババババ...」と機関銃を撃つ真似をした。
志願兵となって国のために戦うのだという。

彼とは教室以外で会うことはなかった。
なんでだろう...
互いに食うための仕事でいそがしかったのか...
それとも、言葉のうまく通じる同胞らとつるんでた方が楽だったのか...

数ヶ月が過ぎ、クラスが解散することになったけど連絡先など聞くこともなかった。
(スマホがある時代だったら違ってかもしれんけど...)

ただ、最後の授業の時、小さな革の財布をくれた。
小銭が数枚しか入らないような薄っぺらなやつで、なぜだか今も捨てずに持っている。
(上の写真)

”ギマタサン”と刻まれた腕、
あの後どうなったのかな...とたまに思う。

童貞みたいだったけど、じきに女の人を抱いただろう...
戦地へ行き人を殺したかな...

今頃、好きな人の髪を撫でてりゃいいな...

 

ということで今回の曲、歌うはパキスタンの国民的歌手ヌスラット。
いつ聴いてもすごいぞ。

「Mustt Mustt 」Nusrat Fateh Ali Khan

プッチィ(その2)

「えっ、今頃、花見のネタかよ...」

はい、ちょっと時季外れの内容ですみません。

ところで先日、このHPの2018のコーナーに新たに作品の画像を付け加えました。お暇なときにでもご覧ください。

 

「心の旅路」

先の個展の初日、長崎で映画撮ってる友人の藤ジュンがやってきて、なにやら相談したいことがあるという。
おお、恋バナか!と思ってたら違ってて、高浪さん(ピチカートファイブを経たのちソロで活動)のデビュー30周年記念シングルのミュージックビデオを作るので、協力して欲しいとのことだった。
高浪さんの楽曲好きだし顔なじみだし、藤ジュンの新作が見れるのは幸せだ。
「おお、もちろんオッケーばい!」と即答したと思ったら、数日後には作品が完成していた。
は、はやっ...クリント・イーストウッドもびっくりだ。

歌も映像もとってもいかしてます。

「心の旅路」高浪慶太郎

 

 

プッチィ(その1)

4、5年前、縁あって別府で個展をしていたら、50歳半ばくらいの見知らぬ紳士がニコニコしながら会場に入ってきた。
スタスタ跳ねるようにこちらに近づいてきたかと思うと両の手を差し出し、キラキラ眼でこう言った。
「アジサカさん、ププのファンです!」

ププというのはずいぶんと前、福岡の地方誌に連載してた漫画の主人公の名だ。
彼は当時この漫画がたいそう気に入って、単行本をまとめ買いして友人知人に配って回るほどだったという。
ものすごーく、ありがたい話だ。
恐縮して聞いてると、彼は梱包材の”プチプチ”を作ってるとこの社長さんで、その別宅が個展会場のすぐ近所にあるという。
通りすがりに見てみたら聞き覚えのある名が掲げてあるので、「もしや」と思って飛び込んできたのだそうだ。

その後、埼玉住まいの彼が九州へ出張に来た際などに一緒に飲み食いするようになった。
そのうち、彼の会社の社内報でしばらく漫画を描くことになった。

上に掲げたのはその第一回目です。
気が向いたら引き続きこの場にアップしていこうと思います。

門司港にて

昨年暮れの個展の最終日、持ってきた弁当食って歯を磨いてコーヒー飲みながらブラックサンダーほおばってたら、開廊時間になるやいなや、ずずんと二人の大男が入ってきた。
今まさに山から降りてきたような勢いだったので、「今日の獲物だ!」とか言いながらドスンと猪肉でも放り出すんじゃないかと思って身構えた。
どう見ても、花に囲まれた女の子の絵なんかを見にきた風には見えなかった。
見に行くなら、荒地を駆ける雄牛とか、ハーレーに跨る髭の巨漢とかの絵の方だろうと感じた。

「昨日の夜、何気なくインスタ見てたら、この個展のこと知って...こりゃあヤバイと思って、飛んできました」

話し出したら、見かけとは裏腹に物腰の柔らかい紳士的な人たちだった。
なんでも、世界各地を旅していろんなものを買い付け、輸入販売をするのが主な仕事だという。
アメリカなんかでは車であちこちを周り、目にとまった古いビルを土地ごと丸一軒買ったりするそうだ。
解体して出た木材や金具、什器や装飾品なんかを持ってきて、それを店舗の内外装なんかに使うのだ。
話を聞いてるとやたらスケールが大きい。
だって、年明け早々には数週間かけて南米各地を周り、イースター島にモアイ像発掘見学に行くという。

さて、そんな彼らが毎年GWに門司港で、大きなアンティークフェアを主催している。
「ANTIQUING」というものだ。
話の流れで、そのチラシの絵を描くことになった。

上に掲げたのがその絵です。

春個展開催

いよいよ明日より待ちに待った(と言う人が6人くらいいたらいいな)春個展の開催です。
長崎の桜はほぼ満開。
花見のついでにひょろりとのぞいてみよう。

アジサカコウジ春個展「港町浪狼樓」

日程:2019年3月30日(土)~4月21日(日)
( 会期中の金、土、日)
時間:13:00-19:00
場所:List:(リスト)
長崎市出島町10-15 日新ビル202
TEL :080-1773-0416
(期間中はずっとたらっと在廊しております)

春個展のお知らせ

そんな突拍子もないこというのはあんただけだと本人は否定するだろうが、いしだあゆみに似た女が長崎にいる。
雑貨や服を扱う店(兼、貸しギャラリー)を長年一人でやっている。
ちなみに横浜にはサミュエル・L・ジャクソン(いしだあゆみと同じ歳)に似た本屋の男がいるけど、今回は登場しない。

年が明けてしばらく経った頃、今年は久々に毎年旧正月に長崎で開催されるランタン祭りに行ってみよう、と思い立った。
夜は現地の友人らを誘ってうまい中華を食べることにしよう。
良さそうな店が一軒あるけど、さて、あそこは大人数の予約ができたかな...
あ、そうだ確かいしだあゆみがそこの常連だったぞ、彼女に聞いてみよう...

久しぶりに電話した。
けど、忙しいみたいで繋がらなかった。
また明日にでも電話しよう...と寝て起きたら深夜にメールが入っていた。

「アジサカさん、久しぶりー!そろそろ連絡あると思っとった。個展の件やろ。うちがこの春、比較的長く空いてる期間は以下の通りよ...」

昨年の秋くらい、ギャラリーの空き状況を尋ねたので、てっきりその電話だと勘違いしたらしい...

しょうがないなあ...あ、でも今まで長崎で個展やったのは真夏か真冬ばかり、春にやるってのもいいかもな。
花咲く季節。さぞかし気持ちいいだろうなあ...
ようし、この際だ、個展やらせてもらうことにしよう。
と、いうことで来月末から個展をやることになりました。

展示作品はここ2、3年の間に描いた新作で、長崎で発表するのは初めてのものばかりです。(他所で展示した事あるのと、まったく初公開なのが半々くらい)
作品は主に女性のポートレートで、”港町の安宿に居合わせた女たち”という設定にしました。
彼女らはみな一様に根無し草、さすらいの一匹狼ということで、「港町浪狼楼」というタイトルです。
アジサカの名が漢字表記ですが、これはこの街に多い中国や韓国からの訪問者により受け入れやすいと思ったからです。
福建省の老人会御一行とかドヤドヤ来てくんないかなぁ...

会場となるのは例年のごとく、窓下に出島を見下ろすとっても古くて趣深いビルの一室。
花見がてらにどうかふらりとお越しください。
期間中、会場にはたいていアジサカがおります。

日程:2019年3月30日(土)~4月21日(日)
( 会期中の金、土、日)
時間:13:00-19:00
場所:List:(リスト)
長崎市出島町10-15 日新ビル202
TEL :080-1773-0416

今回の個展、テーマ曲はもちろんこれだ!

「かもめ」淺川マキ

そしてこれも!

「Amsterdam」Jacques Brel

 

 

合唱

二十代の終わり頃はフランスに住んでいて、観光ガイドや家庭教師、皿洗いなんかの他、セレクトショップのバイヤーの真似事みたいなこともやっていた。
毎年2月のこの時期になるとパリではプレタポルテのサロンが開かれる。
でっかい球場みたいな広さのホールに数百のブランドのブースがひしめいていて、それらを一つずつ見て回り、これはと思うものを注文するのだ。

えもいわれぬ美しい柄のシャツに、びっくりするくらいなめらかな羊皮のコート、こんなん誰が着るんやぁと思わずつぶやく男物極小下着...どのメーカーも服作りにこだわっていて見ていて飽きない。

その年は湾岸戦争の翌年であり、地球の温暖化が人々の口の端に登りはじめた頃でもあったので、エコロジーを大きく掲げたり、平和や愛をテーマにしたTシャツなんかをつくってるとこが少なからずあって、どこもたいそう賑わっていた。

さて、そんなサロン初日の帰り、日本から出向してきた人々をシャンゼリゼのホテルまで送って行った後、パリを横切る2番線のメトロに乗った。
帰り際に目にとまったシルクのシャツのブランドのことなどを考えていると、ピガールにきたところで、どんな人種かわからないほどしわくちゃで酒焼けした男が、まるで象の肌のようなコートをずるずるひきずって乗り込んで来た。
ボックス席にずさっと座ると、酒と煙草でつぶれた声で何か低く叫びはじめる。
「L’amour,l’amour,avoir l’amour…(愛だ、愛が必要だ)」とくり返している。

けっこう混んでたんだけど、強い臭いを放つ彼の周りには人が寄らず、誰もが知らぬふり。
自分はというと、相変わらずさっきのシャツのことを考えていた。

さて地下鉄が次の駅に着くと、とっても長いスカートをはいた十四、五歳くらいの女の子が入ってきた。
真冬だというのに素足に破れた草履をつっかけている。

入るなり彼女は、しわがれ声で愛を叫ぶ男を見た。
見たけど、男にはかまわずよく通る大きな声で乗客に、父親が蒸発し、病気の母がいることを告げると、すぐさま静かに、少し投げやりな感じで故郷のものだという唄をうたいはじめた。

一方、彼女がそうしている間にも、例の男はずっと叫び続けていたのだけれど、彼女が歌い始めると、そのよく響く声に負けぬようにと、次第に” L’amour”という叫びを大きくしていった。
女の子の声がかき消されそうになる。

すると何を思ったか、女の子も男に負けじと、音程などかまわずあらん限りの声をはりあげはじめた。
うわ...
2人の強くて異質な声が激しく混じり合う。
「愛だ!愛だ!」という浮浪者の叫びと、ジプシー女の歌が一体化する。竜巻となってうねり、狭い車両に荒れ狂う。
他の客はどうだか知らないが、こちとらは身体が無性に熱くなり、彼らの歌の中に溶け混んでいってしまいそうになる。
うわわわ...

と、いきなり冷たい空気が車内に流れ込み、強い光が差しこんできた。
メトロがTATI(安売り服屋)の前、地下から地上に出たからだ。

はっと我に帰っていると、間もなくキキィとうなって、次の駅バルベスに着いた。

女の子は突然唄をやめると、何も乞わずに車両を飛び出す。
男はと見ると、まだ低く” L’amour,l’amour”と叫び続けていたんだけど、二駅過ぎたくらいで深く寝入ってしまった...

それからずっと、プレタのサロンが終わるまで、彼らの歌が両の耳にこびりついて離れなかった。

今も、毎年この時期になると必ず思い出す。
そして身体が少しあたたまる。

金子文子シリーズ その26

「得度して 袈裟の代わりに 三つ揃い いなせにきめて 南無阿弥陀仏」

ところで、突然ですが、3月30日(土)から4月21日(日)、長崎は出島のとってもいかした古いビルの2階で個展をすることになりました。週末の金、土、日のみ開催する予定です。めちゃ心地よい季節、花見がてらにふらりお越しください。詳細は後日お伝えいたします。

 

金子文子シリーズ その23

「じさつみすい たすけたりょうしが いうことにゃ うむいいしりだ こいせよおとめ」

金子文子シリーズに西郷さん初登場!

金子文子シリーズ その20

「よあけまえ こうきゅうりょうてい なぐりこみ よったかくりょう いちもうだじん」

あの、以前にも申しましたが、この文子シリーズ、一つには日々の憂さ晴らし、怒りのはけ口になっております。すみません。

花の絵は

草花を描くなんて思ったためしがなかった。
そんなものは年寄りが描くもんだと思っていた。
三十過ぎて日本で初めて個展をやった時も、描いて展示してたのは人物画ばかりだった。

本の装丁をやってる友人が鍋島幹夫という詩人を連れてきた。
目玉がぎょろり、やたら生き生きとしていた。
地を這ったかと思うと、天空高く舞い上がりそうな目玉だ。
そんな眼で絵を続けざまに見ていった。
掛かってる絵はみんな、その両目にがぶりと喰われちまうんじゃないかと感じてびくびくした。

「こうじさんは、花は描かないんですか?」

見終わると、鍋島さんはそう尋ねた。
初対面で苗字ではなく名前を呼ばれたのにも驚いたけど、
それにも増して驚いたのがその声色だ。
丸くやさしく力強い...まるで花の球根みたいだ。

「えっ、花ですか...人物描くのは楽しいし、やり甲斐ありますけど、花は...」

そう返事をすると、ほほえんで、

「花も人もおなじですよ」

といった。

それから十数年たった。
鍋島さんとはなんとなく気持ちが通じて、ちょくちょく会うようになった。
いっしょに旅行にいったり、彼が校長を務める小学校で美術の授業をやらせてもらったりもした。
けれども、あいかわらず花を描くという気持ちにはぜんぜんなれなかった。
人物画の中にひとつふたつ描くことはあっても、それは必要にせまられ仕方なくやったものだ。

五十歳も近くなる頃、大切な人が続けざまに亡くなった。
これは実につらかった...

と、悲しみに沈んでいたら、無性に花が描きたくなった。
これにはびっくりした。

人が歳をとれば必然と、弔わねばならぬ人、花を献ぜざるをえない人が少なからず現れる。
年寄りが花を描くとは、つまり、こういうことだったのだ。

花を少しずつ描くようになった矢先、鍋島さんも亡くなった。
ガンになったかと思うと、特急列車に乗ったみたい、たちまちのうちに逝ってしまった。
結局、花の絵は一枚も見せずじまいだ。

今、花を描いて、描き終わると、たいていはまず鍋島さんに見せる。
彼の目玉は言う。

「こうじさんの花はダメですよ、それじゃあまだ食えないな」

と、いうことで、鍋島さんの詩をひとつ。
H氏賞(詩壇の芥川賞と呼ばれる)を受賞した「七月の鏡」(思潮社)から。

「チューリップのはやし」

チューリップ の はやし は
まど の そば の うえきばち です
きょねん そこ に
せみ を うめ まし た
つぼみ が しきりに くび を まげ
つち の におい を かぎ ます
せみ を のみこむ こんたん です
そう は させ ませ ん
わたし は くび を ねじっ て
むき を かえ ます

チューリップ の はやし を ぬけ て いき たい です
ほそながい しろい くき が さそい ます

チューリップ の はやし は
こんちゅう で も ない の に
むりやり
こんちゅう ずかん に いれ られる
その ような いきものたち の すみか です
だから
かぜ も ない の に
こだち は み を よじる の です

チューリップ の いろどり が
ささやき に かわっ たら
わたし は ふく を ぬい で
こだち の なか へ はいっ て いき ます
あの むしたち と いっしょ に
わたくず の ような す の なか で
ねむる の です

冬個展開始のお知らせ

本日より待ちに待った(という人が8人くらいはいてほしい)冬個展が始まります。
展示作品は女性のポートレートが中心で、その中に若干、男子や草花の絵が混在するといった趣きです。
会場となるのは今秋オープンしたばかりのギャラリー「EUREKA(エウレカ)」で、福岡城址にほど近い大手門、浜の町公園を望むいかした場所にあります。
年末に向け寒さがつのってまいりますが、ふらりと気軽にお越しいただければ幸いです。

「EUREKA」公式FB

あと、お手数ですが、友人知人の方々にメールやfacebook等で広く告知していただければほんとうにありがたいです。

会期:2018年11月24日(土)~12月23日(日.祝) (月・火曜休み)
時間:12:00-19:00
場所:EUREKA 福岡市中央区大手門2-9-30-201
(大手門郵便局の右手が入り口です)
TEL :092-406-4555

※期間中毎週日曜はアジサカが在廊しております

 

 

金子文子シリーズ その16

「けられても ふんづけられて のされても 花をつかんで 生きながらえる」

ところで、長年にわたって作品の写真を撮ってくれてるカメラマンのマッキーが、上の絵をファインダー越しに覗きながら、ポツリつぶやいた。
「なんか山口百恵に似てますね...」

山口百恵について、夫の三浦友和が語ったもので、とっても印象に残っているものがある。
彼の仕事が、家のローンの支払いもままならないほど激減し、不安にかられていたときのことだ。

「そんなときでも、うちの妻は腹が据わっていました。十万円なら十万円の生活、千円なら千円の生活をするだけだ、と言って。いい女房を選んだなとしみじみと感じたのは、あの時期でした」
(『婦人公論』14年11月22日号)

EUREKA

「今度、自分のギャラリーをオープンすることにしたっちゃん」

長年勤めていた老舗の画廊の店じまいの後、しばし充電中だった友達のミッキーがそう話し出した。
「まだ内装の工事中だけど、一度見に来てよ」

近くへ行ったついでに見に行くと、そこは子供らが飛び跳ねてる公園の前、郵便局が入った古いビルの二階にあった。
広くも狭くもない、いい塩梅の白い空間に明るい陽が差し込んでいる。

「どう...かな?」

「いい、いい、めちゃいい!なんかスンとしとる!」

「スン?」

「あ、つまり、いい気配が漂っとる」

「わあ、よかったー」

さて、その場所が今週末から個展をやることになったギャラリー「EUREKA(エウレカ)」だ。
オープンにあわせてFacebookも始めたそうだ。(あたし、SNSとかようわからんっちゃけどさ...といいつつ)

「EUREKA」公式FB

ところで、ギリシャ語で「見つけた!」を意味する感嘆詞である「EUREKA」を別の読み方で読み、その書名とした雑誌がある。
詩と批評を中心に文学、思想などを広く扱う芸術総合誌「ユリイカ」だ。
小説家や漫画家、映画監督などいろんな作家の特集を毎号行っていて、うちの本棚にも何冊か並んでいる。

で、1970代の前半にこの雑誌の編集長をやってたのが三浦雅士という人なんだけど、この人の名を知ったのは遅まきながら10年ほど前、白川静さんが亡くなった後、その追悼特集の本の中でのことだ。

いろんな人が寄稿してたんだけど、彼の文章がすっごく面白かった。
それであわてて何冊かその著作を手に入れた。
うわっ、白い表紙で分厚い本ばかり。

読むと、なんだかしち難しいことばっかり書かれてる。
書かれてるんだけど、その物言いが”かっちょいい”ので、「うひょお」とか唸ってるうちに数百ページ読み進んでしまってる。

たとえばこんなんだ。

「自殺とは自分を殺すことではない。自分以外のすべてに向かって、すなわち全世界に向かって死刑を宣告することである。人間の条件に否を唱えることだ。根源的であるとはそういうことである。
小林秀雄も太宰治もそういう地点から表現しているように見えたのである。「生まれて、すみません」という太宰の言葉は、世界に謝罪を要求しているのであって、その逆ではない。」
(「失うものは何もなかった...」青春の終焉 講談社)

うひょおーっ
つうか、本の装丁といい題名といいカッコつけすぎやろ...

とまあ、そんな三浦の雅士なんだけど、舞踊、とくにバレエに傾倒しまくってるもんだからこっちはたまらない。
カッコよさにつられ手当たり次第に読んでるうち、バレエなんて実際には見たこともない頭に、ベジャールにグレアム、ノノマイヤーといった固有名詞に彩られながら、パフォーミング・アーツの真髄みたいなものが、ずいずい注入されていった。
おかげで一時期、Youtubeでバレエばかり見る羽目になった。

と、そんなわけで、今回の個展の看板にはバレリーナを描くことにした。
(上の写真のコです)

話が長くてすまん。

天体観測

大学2年の春、中国拳法部に身をおきながらも天文観測同好会というのに掛け持ちで入ることにした。
とは言っても、天体のことに興味があったわけではない。
星座だってカシオペア座くらいしかわからないし、月や星へ行ってみたいという人の気持ちも全く理解できなかった。

小さい頃読んだ物語に、子ぶたを乗せたロケットが宇宙の果てを目指してずうっと飛んで行くという話しがある。
子ぶたの行き着いたとこはレンガの壁で、そこには「ここから先は行けません」という札がかかってるというオチなのだが、ひどく恐ろしかった。
レンガ塀に閉ざされた世界というのも恐いし、レンガの壁の向こう側を考えるというのも身が凍るようだった。
そんな具合に、夜空というのは自分にとって、それがきれいな光りを散りばめた、ただの大きな天井であるまではよかったが、”無限の宇宙”となるのは気味が悪く、関わりあうのを避けたかった。

そんな天文嫌悪の人間が天文愛好に転じようとしたのは、その小さな同好会につぶぞろいの可愛い娘が在籍しているとの情報を得ていたからだ。
つまり、拳法部のあまりの女っ気のなさにうんざりし絶望していたので、この部に入り、それに付随した飲み会やレクレーションへ参加して娘たちと仲良くなろうとしたわけだ。
とっても不純だ。
しかし、若者の生き筋としては至極真っ当だろう。
 
部活は週に2回、部長のぼろアパートで行われていた。
畳に不釣り合いな大きな天体望遠鏡が据えてある。
うむ、確かに可愛いコが数人いる。
最初、見学ということで黙って話を聞いていた。
複雑な図面を手に意味不明の言葉で話すばかり。ちんぷんかんぷん、ちっとも面白くない。
そんなことをじっと2、3回我慢してたらやっとこさ新歓コンパの日となった。
一番かっこいい服を着、めかして行った。

ところが酒に酔うと人は正直になるからいけない。
しばらくすると、星などにはまったく頓着しないばかりか、内心、星なんて眺めてる奴らは軟弱だと小馬鹿にしてた”エセ硬派”は、真面目に天文やってる男子部員らと言い争いをはじめていた。

そうして挙げ句の果てには焼き鳥屋の店内で掴み合いになっていた。
酔ってるとはいえ、こちらは組み手をするのが日常なので抑制もきく。
グーはまずいと平手で応戦してたんだけど、相手ときたら加減を知らぬ天文専門が6人。
盲滅法いっせいに殴りかかられ、のされてしまった。

気付くとマンガみたいに頭の上で星がまわってる。
ああ、きれいだなあ...

天文部の部活中、実際に星を見るのはそれが最初で最後だった。

アジサカコウジ冬個展2018「nana sauvage」のお知らせ

今月末より、新作アクリル画の個展を行うことになりました。
公に展示するのは初めての作品ばかりが、大小おりまぜ60点あまり。
意外と見応えあります。

個展のタイトル「nana sauvage」とは”野生の女”を意味するフランス語で、
展示作品は女性のポートレートが中心です。
その中に若干、男子やへんてこな草花の絵が混在するといった趣きです。

会場となるのは今秋オープンしたばかりのギャラリー「EUREKA(エウレカ)」。
福岡城址にほど近い大手門、浜の町公園を望むいかした場所にあります。

年末に向け寒さがつのってまいりますが、ふらりと気軽にお越しいただければ幸いです。

あと、お手数ですが、友人知人の方々にメールやfacebook等で広く告知していただければ大変にありがたいです。

アジサカコウジ冬個展2018「nana sauvage」

会期:2018年11月24日(土)~12月23日(日.祝) (月・火曜休み)
時間:12:00-19:00
場所:EUREKA 福岡市中央区大手門2-9-30-201
   (大手門郵便局の右手が入り口です)
TEL :092-406-4555

※期間中毎週日曜はアジサカが在廊しております

金子文子シリーズ その11

「じょうものと いわれしんじて かったけど これでひとが させるのかしら」

あの、この文子シリーズの絵やタイトルのなんちゃって短歌、何だかいつもちょっぴり殺伐としてますけど、昨今の日本の有様を見るにつけ、悲憤慷慨、切歯扼腕すること甚だしいので、その憂さ晴らしとなってます、自らの精神の安定のためです。すみません。

coco子 その25

みなさん、こんにちは。

いきなりですが、来月末の11月24日(土)から12月23日(日)まで、福岡城址にほど近い大手門に今秋新しくできたギャラリー「EUREKA」にて個展を行うことになりました。

ここ数年の間に描きためておりました新作ばかり、約60点を展示販売いたします。
女の子のポートレートが中心で、その中に若干、男子や草花が混在するといった感じになると思います。
詳細は近日中にまたこの場でお知らせいたします。

これから年末に向け寒さが募ってくるとは思いますが、マフラーなびかせ、ふらりと気軽にお越しいただければ幸いです。

巨大十字架ばあさん

10年くらい前、ベルギーはブリュセルに住んでいた頃のこと、初秋のある朝、何とはなし急に海へ行きたくなった。
さっさと朝食を済ませ、路面電車に鉄道と乗り継いで最寄りの海を目指す。

この国は北向きの海しか持っていない。
緑がかった灰色で、年中強い風にさらされている。
真夏であっても時として肌寒く、泳げる期間はほんのわずか。
冬にでも来ようものなら、そのあまりの殺風景さに、どんな浮かれ気分も撃沈だ。
来るたびに、生まれ故郷の長崎の海とはなんて大きく異なるのだろうと溜息が出る。
一方が慈愛に満ちた母親なら、他方は無口で厳格な父親だ。

Knokkeという海辺の町の駅へ着き、目抜き通りを北へと進む。
海岸まで出ると、秋のまだ初めだというのに吹いてくる風は冷たい。
けれど幸いなことに今日はめずらしく空は晴れわたり、日差しの方はあたたかい。
海沿いの遊歩道には出店が軒を連ね、大勢の人で賑わっている。
そこを歩いた。

しばらく進むと、前方に見慣れぬ異様なものが見えた。
ゴロゴロと音を立てゆっくりと動いている。
「何だい?あれは...」
追いついてみると、それはとてつもなく大きな十字架だった。
見ればその下には押しつぶされるようにひとりの老婆...

十字架は2メートル以上はありそうだが、リュックみたいになっていて、底の方には車輪がついている。
それをその三分の一にも満たないくらいの小さなばあさんが背負い、何やらブツブツ言いながら引いて歩いているのだ。

「変てこなばあさんだなあ...」と横目で見ながら通り過ぎようとしたちょうどその時、悪童らが近づいてきて彼女を取り巻き、嘲笑い始めた。
思わずそいつらを「おーおー!」と睨みつけて追い払ったんだけど、その刹那、ばあさんと目が合ってしまった。
うわ、話しかけられたりしたらやばい、とすぐさま目をそらし先へ進んだ。

とても長い遊歩道の半分くらいまで行った頃お腹が空いたので、ニシンのサンドイッチ(これがとてつもなくうまい)を買って防波堤にすわって食べた。
食べててしばらくするとゴロゴロという音が近づいてくるのが聞こえた。
不吉な予感がしてその場を離れようと飲みかけジュースを飲んでたら、すでに十字架ばあさんがとなりに腰掛けていた。
「あれ、十字架は?」と振り返ると、道のど真ん中に置いてある。

ばあさんは傍に座ったものの、こちらの方は見ず、海へ向かい何やら意味不明の聖書か何かの言葉を唱え始めた。
合間合間に「croire,croire…」(信じよ、信じよ...)とつぶやいている。
横顔がとてもおっかない。
無下に立ち去るのも気が引けたし、かといって黙ってたら延々神様の話しが続きそうだったので矛先を変えてみることにした。

「あのう、十字架、重くないっすか?」

「ノン、ノン、ぜんぜん重くない」

なんだかまさに憑き物がおちたみたい、話しかけるなりばあさんは急に柔和な顔になると、「これは息子が自分のために作ってくれたんだ...」とこちらを見て話し始めた。

曰く...一見太い角材のようだが、実は丈夫な板でできており中は空洞で見た目よりもずっと軽い。
車輪は大切な部分なので一番上等なやつを買った。
息子は銀行に勤めてるが小さい時から粘土細工が好きで...

おそらくはとても自慢の息子なのだろう、これまた延々と彼のはなしが続きそうな気配だ。
どんな息子さんなのか少なからず興味がわいたんだけど、ふと気づくとここへ来たついでに訪れようと思ってた郷土美術館の閉館時間が迫っていた。
「ごめんなさい、用事があるのでもう行かないと..」といって立ち去った。

美術館の展示品は地元の作家のものばかり、未知の作品に少なからず期待してたのだけれど点数も少なく、あまり面白くなかった。

駅へと向かう道すがら再び陽の落ちかかった海岸にもどってみると、遊歩道と目抜通りが交わるあたり、あの十字架が見えた。
ばあさん、帰り支度をしている模様だ。
見つからないように隠れて様子を伺っていたら、驚いたことに十字架の先の部分がカパッっと開いた。
中に金具らしきものがあり、それをスクーターの荷台のとこに取り付けられる仕組みになっているのだ。

ゆっくりとスクーターに跨ると、ばあさんは十字架をひきずりながらガラガラガラ音立てて去っていった。
 
それを見送りながら、美術館はやめて、彼女の息子さんのはなしを聞けばよかったなあ、と後悔した。
ちょっと風変わりな母親に、丹精してそのようなものを作った息子のはなしを。

金子文子シリーズ その7

「天国に 地獄がほれて ほれられて 結婚したと カナリアうたう」

えっと、余計なお世話だと本当に思いますが、ちょいとばかし話をすると、18〜19世紀のイギリスに画家で詩人のウイリアム・ブレイクっていう人がいて、その詩画集に「天国と地獄の結婚」っていうのがある。
これがとってもいい。
で、ホイットマンとか読んでた文子はきっとブレイクも読んでいて、そいでもってけっこう気に入ってたんじゃなかろうか...と手前勝手に思いながら筆を動かしてたら、上のような絵ができちまったというわけだぞ。

金子文子シリーズ その6

「貧乏は 耐えてやるけど 私がね 私でおれぬ それは許せぬ」

さて、ここで”ツルシュン”こと鶴見俊輔登場!

人間はいつ自分になるのか。

 「人間は、生まれた時に、いきをする。手足を動かす。その時に木の枝などにぶらさがらせれば、結構ぶら下がれるそうだ。手をひいて歩かせれば歩けるそうだ。
 そういうことは、生まれてからすぐにまた忘れてしまうけれども、それにしても、私たちが自然に知ってること、なんとなく覚えてしまっていることは、じつにたくさんあるものだ。
 そんなふうにして、なんとなく私たちはことばを覚え、人間としてのいろいろのしぐさを覚えてしまう。それでけっこう暮らせる。
 ところがそのうちに、何か変なことが起こる。いままで自然に覚えたことでは、どうにもそこを超えられない。
 今まで自分にそなわった力では、それとかくとうしても、組みふせることができない。そういう恐ろしさの中から、あたらしい自分が生まれる。」
(「人が生まれる」鶴見俊輔)

続いて白川静さん登場!

「孔子の世系についての『史記』などにしるす物語は、すべて虚構である。孔子はおそらく、名もない巫女の子として、早く孤児となり、非賎のうちに成長したのであろう。そしてそのことが、人間についてはじめて深い凝視を寄せたこの偉大な哲人を生み出したのであろう。思想は富貴の身分から生まれるものではない。」
(「孔子伝」白川静)

ううう、二人とも、なんちゅう歯切れのいいシャキッとした物言い。
読むだけで背筋がぐいと伸び、何やら力が湧いてくるばい。

西郷さんシリーズ その63

春日八郎「なにしてんの?」

西郷「ちょと休憩」

春「それ、かっちょいいね」

西「あ、これ、チョンマゲドン」

春「チョンマゲドン...?変な名前...」

西「....」

春「スピード、どれくらいでんの?」

西「600キロ」

春「早っ...」

 「で、燃料は?ガソリン?電気?」

西「戊辰戦争で果てた東北武士の怨念」

春「怖っ...」

西「めちゃくちゃよく燃焼するんだ」

春「あ、そう...」

 「つか、あんたって、その東北武士を殺した側の棟梁じゃん?」

西「うん...」

春「で、こんな辺鄙な寒村に何しにきたん?」

西「慰霊...討たれて亡くなった侍たちの」

春「はん、罪滅ぼしっていうやつかい、へんてこな車に乗ってさ...」

西「車じゃない、チョンマゲドンだ」

春「まあ、どっちでもいいさ...」
 「ところで俺、歌うたいなんだ」

西「ああ、そう...」

春「一曲聞いてくれるかい?」

西「喜んで」

春「♪粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪 死んだはずだよ お富さん〜♪」

西「ああ、なんか島の唄みたい、懐かしいなあ...」

nana sauvage 02

海の青さに眩んで倒れ
膝に鮮血ばんそうこう
剥がれて飛んで白い鳥

ってな感じかな...

と、済州島は西帰浦のピッチャンさん

coco子 その23

「何よこのマンガ、意味わかんないっ...」
えっ?あ、すみません。
むかしフランスにエディット・ピアフっていう国民的歌手がいて、その人の代表曲が「バラ色の人生」ってタイトルだったんです。
それでこんなマンガを...
ピアフの曲、とってもいいので聞いたことない方はぜひ。

と、いうことで、今回は同じ曲をグレイス・ジョーンズが歌ったやつです。
かっちょいいぞ!

「La Vie En Rose」Grace Jones

ところで数ヶ月前から、コラムニストの石原壮一郎さんのいかした文章に合わせ、1コママンガを毎日(土日はお休み)描くという仕事をやってます。
「ニュースパス」っていう無料のアプリをダウンロードすると見ることができます。
auの提供ですが、どこのどんなスマホでもバッチリ大丈夫!
バックナンバーも読めるので、ちょっとした気晴らしになかなかよかばい。

「ニュースパス」

西郷さんシリーズ その61

ところで、自分以外の人にとっては実にどうでもいいことなんですけど、現在進行中の絵のシリーズが、大きく分けて三つある。
西郷さんシリーズ、金子文子シリーズ、nana sauvageシリーズの三つだ。

で、今日からは文子シリーズと並行して、西郷さんシリーズやnana sauvageシリーズも気が向いたらこの場でぼちぼち紹介していくことにしたぞ。

で、上に掲げたのはそんな西郷さんシリーズ第2部の1回目(通しでは61回目)で、タイトルは、
「ゾンビを歌えティナ・ターナー!」

金子文子シリーズ その1

文子は獄中で少なからず歌を詠んでいる。
いずれも、とても強く人の心を打つ。
だからとういわけではないけれど、文子シリーズのタイトルは短歌風に五七五七七で行くことにした。
しかし、文子には申し訳なさすぎるが、あくまで短歌”風”で、その規則に従って戯れに言葉並べただけの、すっごくたわいないものです。
なので、ふふんと鼻で笑って受け流してください。

と、いうことで、今日はその一回目、タイトルは、

「ピストルに タマの代わりと 歌こめて うてばみなさん ごりんじゅう」

インスタ

スマホがタッチパネル式ではなくて、ダイヤルだとかボタンとかねじ式で、ガチャンとかギギイとか音がしてもっと手応えがあれば使ってるんだけど、いくら打てども響かない、タップ、フリック、スワイプと指先動かしてると次第に指紋が剥がれて自分が無くなってしまうように感じる、という他人から見ればたいへんしょうもない理由で相変わらずのガラケーのみの生活だ。
それでまったく不便がない。
しかしこちらは不便がないんだけど、スマホな生活をしていないがため、周囲に少々迷惑をかけたりすることがある。
スマホ生活してりゃ当たり前のことが通じなかったりわかんなかったりする時だ。すみません。
 
ところで先日、HPを新しく作り変えてもらったのを機に、友人に勧められるがままインスタをやり始めた。
表現活動を行う人間の末席にいるものとして、できた作品はより多くの人に見てもらいたいからだ。
けど、インスタはスマホ用に開発されたアプリだそうで、それを自分みたいにPC上でやるとなると使えない機能だとか不具合が少なからずある。
かつ、SNSを通じての人との関わりが不得意、不慣れということもあり、今のところ、自らが描いた作品を一方的に見てもらうというだけの横着な使い方だ。
それで、「こっちは、”いいね”とかフォローとかしてんのに、そっちはシカトかよ、ちっ...」と感じる方が今後現れないとも限らない。
(と、家人に言われた)

そんな方には本当にすみません。以上のような訳なのでご了承いただければ幸いです。
大多数の方々にとってはどうでもいいことですけど...

ハーモニーさん

ずいぶんと前、縁あって沖縄で個展をやったことがある。
それは2週間ばかし続いたが、期間中はトイレや洗面所が共同の一泊数千円の安宿に連泊した。
冬場というので泊まり客は少なく、それもたいていはすぐに入れ替わったが、一月近くも滞在しているという男の人がいた。
二階の廊下の突き当たり、薄暗いとこにあるドアの向こう、隣の隣の部屋だ。

泊まり始めて2、3日経つと頻繁に顔をあわせるようになった。
こちらが洗面所に立つ度に、待ち構えていたかのようにすっとドアが開き、出てきて自分も歯を磨くのだ。
しかも驚いたことに、踊りながら。

板張りの狭い廊下、軽快なステップを踏んで歩き、ときに回転し、足を宙高くピンと上げる。
歯ブラシはずっと口にしたままだ。
ヨダレは垂れてない。飲み込んでいるのかな...あ、たまに思い出したかのように2、3回シュシュっと歯を磨いてる。

ものすごーく奇妙でめちゃくちゃにおかしい。
しかし、黒縁眼鏡の奥の瞳ときたら真剣そのものなので、笑うことなどできない。
滑稽さにその真剣さが打ち勝っている、つうか、滑稽さが真剣さでできているので、笑いが殺されてしまうのだ。
こりゃあ深沢七郎の小説みたいだぞと思った。

最初のうちは若干薄気味悪いということもあり、関わったりしたら面倒だと、見て見ぬ振りをしたり、または会釈だけして部屋へ逃げ帰っていた。
しかし、これが何回も続くとなると、さすがに声をかけずにはおれなくなった。

「あのう、ここにはもう長く滞在してらっしゃるんですか?」
それまで無表情だったのが花開くみたいにニッコリ笑って、
「ええ、ここにはピアノがありますから...」
たしかにその安宿には場違いな古いピアノがあった。

聞くところによると、歳は38、年上と思ってたら同年代だ。
音楽史や音響学、楽器やその演奏法、歌や舞踊、とにかくいろーんな音楽にまつわることを長年研究してきたらしい。
そして今はというと数年前からバーやクラブでピアノを弾いて生計をたてながら、あちこちを放浪し、自分の理想とする音楽を追求しているという。

「あのう...理想とする音楽って、いったいどんなもの...」
「ハーモニーです!」
「は、ハーモニー...」
「そうです、ハーモニー」

兎にも角にも音楽にはハーモニーが大切なんだそうだ。
何やら門外漢には難しい専門的な用語を並べながら延々と話し続ける。
内容はきれいさっぱり忘れてしまったが、随所にちりばめられた”ハーモニー”という言葉、
まるで取り憑かれたように繰り返し口をついて出てきたその言葉だけが、何かの呪文みたいに耳に強く残った。

知識も経験もとっても豊富そうで、大学に残って適当に研究したり、学生相手に教えてれば楽な生活だろうに...
折れたのをセロハンテープで補強した眼鏡をかけ、くたびれたトランク一つが道連れの安宿暮らし。

「いつも踊ってるのはなんですか?」
「タンゴです」
「はあ、タンゴですか...」
「ちょっと立ってみてください」
「え?は、はい...」
「じゃあ、基本のステップを教えましょう!」
と、やおら手を取る。
小さく柔らか、冷んやりしてる。

それから真夜中の廊下を行ったり来たり。
端っこまでくるとキユッと勇ましく回転、向きを変える。
幾度も繰り返す。
ハーモニーさんの口は固く閉じ大真面目。
たまたま泊まり合わせた素性もわからぬ男に教えながら、
自らも何かを学ぼうとしている様子だ。

それにしても折れたメガネに七三にきっちり撫で付けた髪、ぷりぷりしたお尻、見れば見るほどおかしい。
けれどもやっぱり、別にこらえてるわけではないのに笑うことができない。
彼が真剣そのもので、己が人生をかけて何かを求めようとしているその切実さがひしひしと伝わってくるからだ。

ふと気がつくと踊ってる自分とは別の自分が天井あたりにいた。
天井から眼下で生真面目に踊る七三と坊主の奇妙な男二人を見ている。

真冬の南の島、安宿二階の薄暗い廊下を行ったり来たりする滑稽のかたまり。

ビクトルヶ原

うちの両親の出は二人とも農家であった。
代々、西海を望む狭い土地に米やら野菜、蜜柑なんかを作ってきた。
自分が幼い時分は盆正月以外にも事あるごとに通っていたので、干し草の上で遊んだり、鶏追いかけ回したり、畑にナスやキュウリを取りに行った思い出が強く残っている。
今も親類縁者には農業を営む者が少なからずいる。
なので、帰省した折に「今年はえらい暑かったけん、徳一っちゃんとこの蜜柑はあらかたダメにならしたってばい、大事(おおごと)ばい」とかいった会話になることも多い。

そんなこともあり(そんなことなくったって、日々ここに暮らしてりゃ)、「種子法」がこの4月に廃止になった時には、少なからず怒りがこみ上げてきた。

「え、なんで怒るん?」「種子法廃止ってどゆこと?」という方も多かろうと思う。
なので唐突で申し訳ないが、さる雑誌にのった三橋貴明さん(経世論研究所所長)のインタビュー記事を以下にのっけます。
簡潔で分かりやすいと思ったからです。
けれど、一番大切な要点だけなので、「おお、そうだったのか、めちゃやばいじゃん!」と思ったならば、自力であれこれ調べてみよう!

── 種子法廃止法案はなぜ問題なのですか。

三橋 「モンサント法」だからです。モンサントは世界の遺伝子組み換え(GM)種子市場で90%以上のシェアを誇る独占的な企業です。

 GM作物には大きな問題があります。まずは食の安全が脅かされます。アメリカではモンサントのロビー活動の結果、FDA(米医薬食品局)によってGM食品は既存の食品と実質的に同等だから安全だと認められましたが、「実質的」の定義は厳密に評価されていません。GM食品が本当に安全かどうかは分からないのです。

 たとえば中国では、共産党上層部は自分たちのための農場「特供(特別供給基地)」を経営して、安全な食べ物を食べています。一方、アメリカでは金持ちは高価で安全な食べ物が食べられますが、貧乏人は安価で粗悪な食べ物しか食べられません。食の安全が崩壊すれば、日本も一部の特権階級しか安全なものを食べられない国になります。

 さらに、食糧安全保障が崩壊します。モンサントはGM種子の特許を持っており、収穫物からの種採りを認めていません。モンサントのユーザーの農家は毎年種子を買わなければならず、種採りをすると特許権の侵害として訴えられてしまいます。モンサントは種子の特許によって世界中の食糧を支配しようとしていると言っても過言ではありません。

 安倍政権の農業政策には食の安全や食糧安全保障という発想が欠落しているため、最終的に日本は他国に食糧を依存することになります。外国が不作になったらどうするつもりなのでしょうか。

 何より問題なのは、生態系そのものが歪められることです。GM作物を栽培すると、花粉が飛散し、在来種と交配してしまいます。たとえばメキシコではGMトウモロコシを栽培していないのに、奇形のトウモロコシが大量発生しました。そこで在来種を調べたところ、確認した全てのトウモロコシがGMトウモロコシの遺伝子を持っており、純粋な在来種は発見できなかったそうです。

 仮に日本でGMコメの栽培が始まれば、日本古来の在来種が汚染されてしまい、永遠に失われてしまうでしょう。食の安全や食糧安全保障の問題は取り返しがつきますが、生態系の汚染は取り返しがつかないのです。

 種子法廃止法案は、このようなモンサント支配に道を開く「モンサント法」なのです。……

(月刊日本2月号増刊「日本のお米が消える」掲載)

うひゃあーっ。
一企業、一部の人間の営利のために、地球、めちゃくちゃにすんなよな、って話ですよね。
トウモロコシに勝手に触んなよ、小麦に勝手に触んなよ、俺に勝手に触んなよ!

と、いうことで怒り静めに描いた絵が上の娘です。
一見か弱いですが芯は強いです。心にはいつもこの歌が流れてます。

「耕す者への祈り」Victor Jara

ゴッホの墓参り

ずいぶんとむかし、まだベルギーに住んでた時分、日本からパリヘ友人が遊びに来るというのでTHALYS(国境越えていく新幹線みたいなやつ)に乗って会いに行った。
詩を書いてるその友人ともども、大のゴッホ好きだったので、じゃあ彼の墓参りに行こうということになった。
墓はパリ近郊のオーヴェールにある。
彼が自殺前の数カ月を過ごした時、そこは夏だったんだけど、当日は雪が舞い、この上ないくらい寒かった。
案内を頼りにいくと体育館くらいの広さの墓地に行き着いた。

ゴッホとその弟テオの墓は他の大きな墓石たちに隠れ、隅っこのほうにひっそりと立っていた。
小さなふたつの墓石がちょこんと並んでいる。
見た途端、とっても不思議な感じがして、「あれ?これと同じ感じ、前にどっかで...」と思っていたら、それは数年前に遠くから見た沖縄は久高島の” 御嶽(うたき)”だった。

森の中の小さな広場、端っこに何個か石を積んである。ただ、それだけの場所。
教会や神社など 「聖地」と呼ばれる立派なところとは比べようもないくらい簡素な場所。
しかし、その”何もない”空間には、「神聖さ」としか言いようもない、濃くて柔らかな気配が漂っていて、静かで深い感動をもたらした。

不思議だけれどゴッホとテオの墓はそれとまったく同じような感じをもたらした。
気づいたらいつの間にか頭を垂れ手を合わせていた。
立ち去ろうとする時、友人が「写真、とれんかったよ...」とポツリつぶやいた。
彼女も似たような心持ちになったのだと思う。
 
その後、ゴッホが描いた風景を訪ね歩いた。
いったいどんなに美しい自然で建物なのだろうかと期待していたのだが、そこにあるものはあっけないほど何の変哲もないただの麦畑に、ごくふつうの教会だった。
季節が違うことを差し引いても、黄色にうねる麦畑や、炎のように揺れる教会は現実の有様とはあまりにかけ離れていた。
 
ゴッホが描いたもの、それらはもともと画家の内にあったものなのだ。
というか、画家の内にある強い何ものかが、はるか天空のどっかから呼び寄せたものだ。
眼の前にある描く対象などどうでもよく、描いてる人間の”人間”が問題だ。
(彼の絵の中ではまるで”茶褐色の激流”のように描かれている)どこにでもある平坦な道の上に立ち、そんな風にあらためて強く感じた。
彼がその筆で描いたのなら、路傍の石ころひとつ、スマホやパソコンでさえ、まるで向日葵のように生き生きと黄金に輝くのだろう、とそう思った。

ところで、ゴッホとテオの墓の周りにはたくさんの蔦が絡まっていた。
真冬だというのに、青々と小さな葉を広げている。
「ごめんなさい。大事にしますから」と心の中でつぶやいて、その一枚を引きちぎり懐にしまった。

それから十五年、その葉っぱは、今もずっと財布の中に入っている。
久しぶりに取り出して日に当てた。それが上の写真です。

金子文子シリーズ開始

ところで、いきなり金子文子って言われても、「えーっ、誰なん?」って感じですよね。
それで手っ取り早く、かつズルくて申し訳ないが、Wikipediaに紹介してもらうとざっと以下のような感じになる。

「金子 文子(かねこ ふみこ、1903年1月25日 – 1926年7月23日)は、大正期日本の社会主義思想家で、アナキストおよびニヒリストである。
関東大震災の2日後に、治安警察法に基づく予防検束の名目で、愛人(内縁の夫)である朝鮮人朴烈と共に検挙され、十分な逮捕理由はなかったが、予審中に朴が大正天皇と皇太子の殺害を計画していたとほのめかし、文子も天皇制否定を論じたために、大逆罪で起訴され、有罪となった。(朴烈事件)後に天皇の慈悲として無期懲役に減刑されたが、宇都宮刑務所栃木支所に送られてそこで獄死した。」(Wikipedia)

最初に彼女のことを知ったのは20年ほど前、創刊間もない雑誌「週間金曜日」に載ってた小さなコラムでのことだ。
そこで加納美紀代(近現代の日本女性史が専門の学者)が彼女の獄中手記の一部を引用していた。
何気なく鼻歌交じりに読んでたが、すぐさま絶句した。

こんな文章だ。(件のコラムではもっと端折ってあったと思う)

「民衆のために」と言って社会主義者は動乱を起こすであろう。民衆は自分たちのために起ってくれた人々とともに起って生死をともにするだろう。そして社会に一つの変革が来ったとき、ああその時、民衆は果たして何を得るであろうか。

指導者は権力を握るであろう。その権力によって新しい世界の秩序を建てるであろう。そして民衆はその権力の奴隷とならなければならないのだ。然らば××(革命)とは何だ。それはただ一つの権力に代えるに他の権力をもってすることにすぎないではないか。

初代さんは、そうした人たちの運動を蔑んだ。少なくとも冷ややかな眼でそれを眺めた。
「私は人間の社会にこれといった理想を持つことが出来ない。だから、私としてはまず、気の合った仲間ばかり集って、気の合った生活をする。それが一ばん可能性のある、そして一ばん意義のある生き方だと思う」と、初枝さんは言った。
 
それを私たちの仲間の一人は、逃避だと言った。けれど、私はそうは考えなかった。私も初代さんと同じように、すでにこうなった社会を、万人の幸福となる社会に変革することは不可能だと考えた。私も同じように、別にこれという理想を持つことが出来なかった。

けれど私には一つ、初代さんと違った考えがあった。それは、たとい私達が社会に理想を持てないとしても、私達自身の真の仕事というものがあり得ると考えたことだ。それが成就しようとしまいと私達の関したことではない。私達はただこれが真の仕事だと思うことをすればよい。それが、そういう仕事をする事が、私達自身の真の生活である。
 
私はそれをしたい。それをする事によって、私達の生活が今直ちに私達と一緒にある。遠い彼方に理想の目標をおくものではない。
(以上)

すぐさま近所の本屋さんへ飛んでって、その手記「何が私をこうさせたか」を注文した。
数日後手元に届いた。
読んだ。
読んで、西郷と同様、その独自の思想、人格、生きる様にとても強く惹かれた。

文子がいうところの「真の仕事」というのは、西郷がいうところの「天命」とほぼ同じ意味なんではないかと勝手に思った。
もちろん、それは別に”維新”とか”国政”とか、”医学”とか”芸術”とか、そんなものである必要はない。
自分自身がそれを”己が真の仕事”、”天から授かった仕事”だと思うなら、会社勤めや家事なんか、ごく普通のことだっていっこうにかまわないだろう。

ともかくそれから20年、いつの日か文子といっしょに何かやりたいなあ...と常々思っていた。

常々思ってたら、西郷さんシリーズがひと段落ついた。
おお、いい頃合いだぜ、とやおら描き始めたというわけだ。
(つうか、こういう日本の有様なので、精神の健康を保つためには西郷さんの力だけでは足りなくなってきた。)

絵を描く時の心持ちは、西郷さん描く時と全く同じだ。
文子は、絵を描くための題材でもテーマでもない。
例えていうなら、燃料だ。
金子文子という燃料で、筆がばんばん走る。

したがって「アジサカさんは文子の思想のどんなところに共感されたのですか?」とか、「文子を描くことによって、人に何を伝えたいのですか?」とか、尋ねられても、あんましうまく答えられない。自分でもよくわからない。
ただ一言、「文子は燃料だ。よく燃える。」と言う他はない。

そして付け加えるなら、行き先を指し示したり、道を明るく照らしたり、快適な乗り心地やかっちょいいスタイルを提供するような思想はけっこうあるけれど、自らが動く、その力の源となってくれるような思想、つうか人格は、そうざらにはないように思う。

さて、これから描かれる絵の中で、文子は怒ったり泣いたり笑ったり飛んだり跳ねたり歌ったり踊ったりするだろう。
バイクで疾走し官憲ぶん殴り、着物乱して好きな男に媚態つき、野辺に寝転び読書三昧するだろう。
ビキニてビーチでサングリアとか飲んだりするかもしれない。

文子の思想や生き方に共感し寄り添う人が見たならば、「なんて軽薄な...彼女に対する侮辱だろう」と眉を顰めるかもしれない。
けど、あらゆる権威というものに反抗した当の文子が、反権威の”権威”になっちゃあ本末転倒だ。
それに、虐げられ虐げられ苦労して苦労して、わずか23歳で死んだんだもの、後世の場末の絵描きの絵の中でくらい、自由に思う存分はっちゃけてもいいだろう。

たはむれか はた真剣か 心に問えど 心答へず にっとほほ笑む
(金子文子)