巨大十字架ばあさん

10年くらい前、ベルギーはブリュセルに住んでいた頃のこと、初秋のある朝、何とはなし急に海へ行きたくなった。
さっさと朝食を済ませ、路面電車に鉄道と乗り継いで最寄りの海を目指す。

この国は北向きの海しか持っていない。
緑がかった灰色で、年中強い風にさらされている。
真夏であっても時として肌寒く、泳げる期間はほんのわずか。
冬にでも来ようものなら、そのあまりの殺風景さに、どんな浮かれ気分も撃沈だ。
来るたびに、生まれ故郷の長崎の海とはなんて大きく異なるのだろうと溜息が出る。
一方が慈愛に満ちた母親なら、他方は無口で厳格な父親だ。

Knokkeという海辺の町の駅へ着き、目抜き通りを北へと進む。
海岸まで出ると、秋のまだ初めだというのに吹いてくる風は冷たい。
けれど幸いなことに今日はめずらしく空は晴れわたり、日差しの方はあたたかい。
海沿いの遊歩道には出店が軒を連ね、大勢の人で賑わっている。
そこを歩いた。

しばらく進むと、前方に見慣れぬ異様なものが見えた。
ゴロゴロと音を立てゆっくりと動いている。
「何だい?あれは...」
追いついてみると、それはとてつもなく大きな十字架だった。
見ればその下には押しつぶされるようにひとりの老婆...

十字架は2メートル以上はありそうだが、リュックみたいになっていて、底の方には車輪がついている。
それをその三分の一にも満たないくらいの小さなばあさんが背負い、何やらブツブツ言いながら引いて歩いているのだ。

「変てこなばあさんだなあ...」と横目で見ながら通り過ぎようとしたちょうどその時、悪童らが近づいてきて彼女を取り巻き、嘲笑い始めた。
思わずそいつらを「おーおー!」と睨みつけて追い払ったんだけど、その刹那、ばあさんと目が合ってしまった。
うわ、話しかけられたりしたらやばい、とすぐさま目をそらし先へ進んだ。

とても長い遊歩道の半分くらいまで行った頃お腹が空いたので、ニシンのサンドイッチ(これがとてつもなくうまい)を買って防波堤にすわって食べた。
食べててしばらくするとゴロゴロという音が近づいてくるのが聞こえた。
不吉な予感がしてその場を離れようと飲みかけジュースを飲んでたら、すでに十字架ばあさんがとなりに腰掛けていた。
「あれ、十字架は?」と振り返ると、道のど真ん中に置いてある。

ばあさんは傍に座ったものの、こちらの方は見ず、海へ向かい何やら意味不明の聖書か何かの言葉を唱え始めた。
合間合間に「croire,croire…」(信じよ、信じよ...)とつぶやいている。
横顔がとてもおっかない。
無下に立ち去るのも気が引けたし、かといって黙ってたら延々神様の話しが続きそうだったので矛先を変えてみることにした。

「あのう、十字架、重くないっすか?」

「ノン、ノン、ぜんぜん重くない」

なんだかまさに憑き物がおちたみたい、話しかけるなりばあさんは急に柔和な顔になると、「これは息子が自分のために作ってくれたんだ...」とこちらを見て話し始めた。

曰く...一見太い角材のようだが、実は丈夫な板でできており中は空洞で見た目よりもずっと軽い。
車輪は大切な部分なので一番上等なやつを買った。
息子は銀行に勤めてるが小さい時から粘土細工が好きで...

おそらくはとても自慢の息子なのだろう、これまた延々と彼のはなしが続きそうな気配だ。
どんな息子さんなのか少なからず興味がわいたんだけど、ふと気づくとここへ来たついでに訪れようと思ってた郷土美術館の閉館時間が迫っていた。
「ごめんなさい、用事があるのでもう行かないと..」といって立ち去った。

美術館の展示品は地元の作家のものばかり、未知の作品に少なからず期待してたのだけれど点数も少なく、あまり面白くなかった。

駅へと向かう道すがら再び陽の落ちかかった海岸にもどってみると、遊歩道と目抜通りが交わるあたり、あの十字架が見えた。
ばあさん、帰り支度をしている模様だ。
見つからないように隠れて様子を伺っていたら、驚いたことに十字架の先の部分がカパッっと開いた。
中に金具らしきものがあり、それをスクーターの荷台のとこに取り付けられる仕組みになっているのだ。

ゆっくりとスクーターに跨ると、ばあさんは十字架をひきずりながらガラガラガラ音立てて去っていった。
 
それを見送りながら、美術館はやめて、彼女の息子さんのはなしを聞けばよかったなあ、と後悔した。
ちょっと風変わりな母親に、丹精してそのようなものを作った息子のはなしを。