「冬個展’21のお知らせ」

田舎の小さなバス会社に勤めていた父は、仕事で観光地を訪れるたび、小さな置き物をお土産に買ってきた。
それを応接間の飾り棚に並べ、洋物のウイスキーかなんかを飲みながら眺めていた。
物心ついた時にはすでにちょっとしたコレクションになっていたように思う。
その中に、太い枝をぶった切って皮剥いで、でかい目玉と鼻口描いて着物をきせた小さなこけしがあった。
高崎山の猿や京都の舞妓さん、どこかの温泉宿の番頭さんや、長崎の平和祈念像なんかの陰にひっそりと佇んでいた。
ひっそりと佇んでいたんだけど、小粒ながらも何となくふんぞり返ってて、妙な風格があった。
「誰だ、こいつは...」
ある日尋ねると父は「なんやお前、知らんとか、西郷さんってとっても偉か人ぞ」と言った。
「そうかとても偉い人なのか...」
幼稚園の年中組くらいだったろうが、なんでかよく覚えてる。

それから長ずるにつれ幾度となく、歴史の授業やテレビの時代劇なんかに登場しては、「~でごわす」とか言っていばっているので、なるほど偉い人だというのは実感できた。
勝や大久保、高杉や坂本と同じく明治維新の立役者の一人だ。

ところが、高校時代にたまたま手にした内村鑑三の「代表的日本人」の中に出てくる西郷に触れて、「あれ、この人はそんじょそこらの偉い人やないな...」と感じるようになった。
”そんじょそこら”でないのなら、キリストやお釈迦さまみたいに、ものすごーくめちゃめちゃ偉い人なのか、というとそんなことではなく、「他でもなく、”この自分にとって”、偉い人」なのではないかと思うようになった。
直感で、この人は自分の人生にとって役に立つに違いないと思った。

それで大学入って暇ができると、西郷関連の本を次々に読むんだけど、勝や坂本なんかと一緒に幕末の晴れ舞台に上がって活躍してる姿っていうのにはどういうわけかあんまし興味を惹かれなかった。
惹かれたのはどちらかというと晴れ舞台からは遠く離れた場所、例えば流された南の島の地べたに座って悶々としてるような姿。言い換えるなら、”日本の夜明け”とは真逆の方向、暗くて深い闇に向かって独りてくてく歩いてゆく肥大漢の姿だった。

しかしこの闇、近代文明の恩恵に与かっておらぬという意味では闇かもしれないが、近代文明に毒されていないという意味では光だ。
西郷は近代以前、つうかもっと昔の太古の光に向かって歩んでいったという気がした。

西郷関連の本の中でもひときわ印象深い本に橋川文三の「西郷隆盛紀行」というのがある。
その中での、橋川と奄美在住の作家・島尾敏雄の対談。
(訳あって潜居を命ぜられた西郷は、奄美大島に3年ほど暮らした)

島尾「ぼくはまあ、西郷はやりませんけど、西郷を書くとしたら、西郷と島の問題をやります。彼が島から受けた開眼というか、島でなにをみたか、ということですね。もう明らかに、本土とは違うんですから。生活、風習、言葉...すべてがね。西郷はそこから、きっとなにかを学んでいると思います。」

橋川「ぼくはまだ、デッサン以前の段階なんですけど、わかりそうなのは、こういうことです。西郷が島からなにを学んだか、なにをみたか、ということは、西郷が他の維新の連中と、違うことでわかるんです。それでは、西郷をして、他の連中と異ならしめたものはなにか。それはいまのところ、ぼくには規定ができない。例えば内村鑑三の場合は、西郷はなにかをみたに違いない、そういうある確信をもって、西郷論を書いている。内村がプロットとしたもの、そのあたりのへんが、解けてくるんです。内村鑑三と西郷を結びつけるという、意味ではなくてね。つまり、西郷がしまでみたものは、日本の政治家が昔から、そして、いまもなお、みなかったものなんです。」

島尾「そうです。みなかった。」

さて、唐突だけど、この二人が言うところの西郷が”みたもの”というのは、漫画家の水木しげるが出征地であるニューブリテン島で”みたもの”と同じなのではないかという気がする。
水木は絵心があったので、帰還後漫画家となり、それを妖怪として我らの前に差し出した。
西郷には絵心はないけれど人望とかそんなのがあったので、それに敬天愛人という名を与え懐にしまい、兵を挙げた...

それでは、彼らが”みたもの”って一体何やねん?
ということになるけれど、手前勝手に言うのなら、それは古代人の心性、彼らの習俗や世界観・他界感みたいなものなのではないかという気がする。
西郷の場合は、一言で言うなら”縄文的な世界”というべきものに目を開かされたのではあるまいか。
縄文的な世界とは「縄文の思想」を著した瀬川拓郎によれば「”土俗的”な自由・自治・平和・平等に彩られた世界」であり、それは今もなお、日本列島周縁の海民、アイヌ、南島の人々のなかに生き残っているという。

ジャン・ジャック・ルソーが「自然に還れ」というところの”自然”、マルクスが「完成した自然主義として人間主義であり、完成した人間主義として自然主義である」というところの”自然”、そんな”自然”に近い世界だ。

彼らはそのような世界を夢に見、理想とし、なんとかそれに近ずこうとしながら生きたという気がする。

と、まあ御託を並べてきたわけだけど、実は余計なことだ。
西郷という芳醇な果実があるとして、物書きならば、それがどんな種類でどんな歯応えでどんな味でどんな栄養があるかなんてのを説明するのだろうけれど、絵描きはなにも考えずにがぶりと一口食べるだけだ。
がぶりと食べて”うまいっ”と筆に言わせる。

だから、今回の個展の一連の作品は西郷という人間を喰らって腹を満たして出したウンチみたいなものだ。
消化が良いのかどんどん出てきて、いま現在も出続けている。
ウンチなのでコンセプトだとかメッセージだとかは特にない。
人によっては悪臭放つ汚物かもしれないし、人によっては何かの肥やしになるかもしれない。

どこかの誰かの肥やしになるといいのだけれど。

アジサカコウジ冬個展 2021
西郷さんシリーズ
「南の島からの反逆者」

会期:2021年12月4日(土)~12月26日(日) 
休日:月・火曜日
時間:13:00-19:00
場所:EUREKA 福岡市中央区大手門2-9-30-201
TEL :092-406-4555
※期間中毎週土・日曜はアジサカが在廊しております

「秋個展のお知らせ」

「おいおい、また個展やんのかよ、夏やったばっかなのに...」

と、鬱陶しく思われてもしょうがないのですが、二回延期になっておりました長崎での個展を来月、やっぱり開催することにいたしました。

この「花と怒り」というタイトルでは、すでに一昨年の冬、福岡で個展をやっております。
今回は、その時発表した作品と、あらたに描いた作品、合わせて50点を展示いたします。
みんながみんな花の絵です。

個展のタイトル「花と怒り」について改めて申しますと、花”については、ただ咲いてる花のこと。
一方、”怒り”は、強い者がのさばり弱い者が虐げられてるような今の世の中への怒りです。
ここ数年、そんな悲憤慷慨のはけ口にしゃにむに筆を動かしている感があるので、こんな風になりました。

展示会場となるのは、例年の如く、窓下に出島を見下ろすとても古いビル(長崎で2番目に古いそう...)の一室。
未だかような状況ではありますが、季節柄、窓を開け放ち風通しよくしておりますので、どうかふらりとお越しいただければ幸いです。

*会期中はたいてい在廊しております。

アジサカコウジ秋個展2021
「花と怒り」日程:2021年10月2日(土)~24日(日)
( 会期中の金、土、日)
時間:13:00-19:00
場所:List:(リスト)
長崎市出島町10-15 日新ビル202
TEL :080-1773-0416

ちなみに、上に掲げた絵のタイトルは「島田宗三」だ。
「誰なん?それ」という方が大半であろうが、晩年の田中正造の最も身近におり、彼の手足となって働いた人物だ。

正造は自分の死んだあとの一切の後事を彼に託し、彼はその遺託によく答えた。
著作に、正造研究には決して欠かせぬ「田中正造翁余録」などがある。

前回の”花と怒り”の最も大きな絵は「田中正造」だった。
今回は正造と同じように大好きな、その同伴者である「島田宗三」の絵を描いた。

ところで宗三は生前、常にこう語っていたそうだ。
「自分の生涯は、失敗と後悔の連続です。ただ、あの人(正造)に出会えたことだけが幸せでした」

この、”あの人”、という響きの美しさよ...

「夏個展のお知らせ」

みなさんこんにちは。
お元気でしょうか。
すっかりご無沙汰して、申し訳ありません。

このブログ、ここのところちっとも更新していません。
それで、ごくごくたまに「どうしたんだい?」と聞かれるのですが、
それは絵ばかりを描いているからです。
文章で書き表したいものも少なくはないのですが、絵で描き表したいものが大量に強い力で押し寄せてくるので、そっちの方をやっつけるのに精一杯です。
やっつけて、それで一枚の絵が仕上がっても、相変わらずそう立派なものでもないんですけど...

ともかく、そんな絵のいくつかをこの夏、東京は日本橋にある誠品書店にて展示することになりました。
同会場での個展は昨年末に引き続き2回目です。
展示するのは女性のポートレートの新作を大小30点。
個展のタイトル「nana sanvage」は、2018年の福岡個展で使ったものと同じもので、フランス語で”野生の女”の意味します。

個展に合わせ、勝手ながらこの春始めたTシャツ屋さんPETITKICHIの商品の中から選りすぐりの10点も展示いたします。添付のQRコードから購入できる仕組みとなってます。

未だ通うな状況ではありますが、近くへお越しの折などにふらり立ち寄っていただければ望外の幸せであります。

アジサカコウジ夏個展2021 
「nana sauvage」
会期:2021年7月8日(木)~8月7日(土)
場所:誠品書店(誠品生活日本橋内) 
   東京都中央区日本橋室町三丁目2番1号
   COREDO室町テラス2階
TEL:03-6225-2871
営業時間や休日はお手数ですが、
どうか「誠品生活日本橋」のHPでご確認ください。

誠品生活日本橋

プチキチ

連絡がたいそう遅くなってしまいましたが、予定しておりました4月の長崎個展は、諸事情により10月に延期することになりました。
2年ぶりということでとっても気合が入っていたのに残念です。
ひそかに楽しみにしていてくださった方々、ほんとうに申し訳ありません。

ところで、その代わりというのではないのですが、ネット上でTシャツの店を始めることにしました。
数年前に思いついて少しずつ準備をしていたのですが、ある程度デザインの蓄えができましたので、いよいよ始動することになった次第です。
ブランドの名前は、手前勝手な造語で「PETITKICHI」=プチキチ(小吉)としました。

上に掲げてあるのがそのロゴマークで、吉”という文字の最初の形であるその甲骨文字(*注1)を土台にして、自由・平等・友愛を表すトリコロールで色付けしています。(なんか大業ですみません)
”洗練された土臭さ”、”野性味溢れるエレガンス”(笑)を目標に、手にした人がほんのちょっぴり幸せになるような物を作りたいと思っています。

受注ごとの少量生産のため、「えっ」と眉根を寄せてしまうほど高価です。
(Tシャツ本体はさておき、プリント代が...)
それに、いらないもので溢れかえった今の世の中に、新たにこんなん作っていいんかいな...という疚しさは否めません。

けれども、そんなこんなは懐に隠し、随時、新たなデザインを追加していくつもりでおります。
気が向いたらたまに覗いてみて、もしも万が一気に入ったものがありましたら、手にしていただけると望外の幸せであります。

また、「俺(私)は着らんけどアイツは着るかも...」という友人や知人の顔が思い浮かびましたら、SNS等で広く宣伝していただけると実ににありがたいです。

「プチキチ」

(*注1)「吉」は士と口とを組み合わせた形。士は小さな鉞(まさかり)の頭部を刃を下に向けた形で、鉞は邪悪なものを追い払う力を持っていると考えられていた。口は甲骨文におけるサイで、神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形。祝詞には神への願いごとを実現させる働きがあると考えられていたので、サイ(口)の上に神聖な鉞を置いて、祈りの効果を守ることを示しているのが吉である。(白川静)

東京プチ個展のお知らせ

今月末より、とても久しぶりに東京で個展を行うことになりました。
場所は友人がはたらいている本屋さん。
誠品書店という名で、去年、台湾からやってきた本屋さんです。

展示するのは近年描いた人物と花の絵がそれぞれ13点、計26点の小個展です。
絵葉書セットとともに、販売もいたしております。
個展のタイトルは”植物と人間”ということで安直に”ボタニカルメン”としました。
何となく響きがいいので採用となったものの、さして深い意味があるわけではありません。

こんなご時世ですが、ふらり立ち寄っていただけると本当に嬉しいです。

アジサカコウジ 東京プチ個展 
「BOTANICALMEN」

会期:2020年12月26日(土)~2021年3月10日(水)
場所:誠品書店(誠品生活日本橋内)

東京都中央区日本橋室町三丁目2番1号
COREDO室町テラス2階
TEL:03-6225-2871

営業時間や休日は(年末年始が重なりますので)お手数ですが、どうか「誠品生活日本橋」のHPでご確認ください。
また、友人知人の方々などに広くお知らせいただけましたら望外の幸せであります。

誠品生活日本橋

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