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「ルイーズ・ミッシェルについての覚書」

「ルイーズ・ミッシェルについての覚書」

とっても私事で恐縮だが、自分は二度結婚している。
最初の配偶者はパリで生まれ育ったベルギー人の女性であった。

さてその日、30年くらい前のことだけど、なぜだかその彼女の弟とふたり、パリのとある地下鉄のホームにいた。
ドニーという名で、もうすぐ第二子が生まれるという頃だった。
あれやこれやと話してる最中、「女の子だったらこの名前をつけるんだ」と言って、彼はホームの壁に大きく書かれたその駅の名を指差した。
「Louise Michel」(ルイーズ・ミッシェル)
それは19世紀フランスの革命家の名前で、ドニーは彼女にかねてより敬愛の念を持っているのだという。
どちらかというとおとなしく控えめで、気の強い姉や母に従順である彼が、フランス史上最も”気の強そう”な女性の名を我が子の名前に選ぶと言うのが、なんとも面白く興味深かった。
しばらくして女の子、ルイーズが生まれた。
生まれたら、名前の由来である革命家のルイーズのことなんてすっかり忘れ去ってしまった。
自分にとってルイーズといえば、我が子らとはしゃぎ回って遊ぶ従姉妹のルイーズ、彼女のことだけになった。

さて、それから10年経ったくらい。
長崎の実家に戻ったついでに昔読んだ本の整理をしてたら、そのうちの一冊が目にとまった。
『ルイズ 父に貰いし名は』(松下竜一)という本だ。
「あっ」
たいへん迂闊なことに、その時、はじめて気がついた。
この本に書かれてる、日本のアナキスト大杉栄が心酔し、娘の名前にさえしたフランスの革命家のルイズって、あの地下鉄のLoise MIchelのことではないか。
読んだ時には少なからず心を動かされていたのにも関わらず、全くもって繋がっていなかった。
自分の浅はかさ、迂闊さにガックリとなった。

ガックリとなったが、この女性革命家(という知識しかなかった)のことが急に近しく思え、新たに興味が湧いてきた。
それでさっそく、何か手掛かりはないものかと探したら、彼女の手記の翻訳本が出ていた。
「パリ・コミューン~一女性革命家の手記」ってやつだ。
取り寄せて一息に読んだ。

最初に読んだ時には、まずはその闘争のあまり凄惨さに言葉を失った。
具体的な人物が無数に出てきては言葉を発し行動し、次々に殺し殺されていく。
かつて自分が暮らし、慣れ親しんでいたパリの石畳に、いかに大量の血が染み込んでいるのかを思い、愕然となった。
残虐な殺戮行為にもまして、裏切りや密告、デマを流す人々の様子も強く印象に残った。
人間の尊厳が、いとも簡単にゴミとなり腐ってしまう。
しかし逆に、生死のあわいで力強く花開いたりもするのだけれど。

労働者とブルジョワジーの闘争の様子、あるいはそれぞれの内部での抗争云々は、大学時代に学んだ水俣病闘争のことを思い出しながら読んだ。
また、ルイーズがニューカレドニアに流刑に処せられた話は、彼女同様、奄美に島流しにあった西郷隆盛と重ね合わせて読んだように思う。(当時、西郷についての本を読み漁っていた時期だった)
両者ともに、それぞれの地での異文化との交わりが、人間を深めその後の思想に大きな影響を与えている。

さて今回、個展のタイトルに彼女の名を拝借しようと思い、15年ぶりくらいにその本を引っ張り出して読んでみた。
本の内容は無論変わらぬが、自分自身がびっくりするくらい変わっているのに驚く。
中でもひときわ大きな変化だと感じるのは、ジェンダーの視点から物事を見るようになったことだ。
彼女は、あの時代にあの場所で、『女性』革命家であったのだ。
そのことに改めて心を動かされる。
さらには、日本や世界の情勢も大きく変わった。
例えば今なら、ベルサイユの臨時政府とパリ・コミューンの関係は、アメリカのワシントンとカルフォルニア(ヒスパニックや有色人種が多数を占め、連邦政府からの独立の気運が高い)の関係に近くも思えるし、根拠のないデマに追従し弱い者いじめをする様は、今の日本の社会とダブって見える。
そしてさらには、流刑から帰って間もなく、失業者のデモの先頭に立ち逮捕された彼女が法廷で述べた言葉ー「飢えた者がパンにありつくのは、例え”盗んでも”その権利がある」は、スーパーで数百円の惣菜を盗んだものが刑に服し、裏金や中抜きで儲けた政治家や企業がのうのうとのさばっている現状を見る時、深く胸に突き刺さる。

さてここで補足的に、彼女について書かれた記事をひとつ引用する。
パリで発行されている日本語新聞OVNI(かつて自分も随筆や漫画を寄稿していた)に掲載されたものだ。

「屈しない人『赤い聖母』ルイーズ・ミシェル」
パリの地下鉄の駅が300ほどあるなか、女性の名前がついているのは3駅。でも、ピエール&マリー・キュリー駅、バルベス=ロシュシュアール駅は男女の連名だから、女性ひとりの名前は3号線のルイーズ・ミシェル駅だけだ。
ルイーズ・ミシェル(1830-1905)は、ヴィクトル・ユゴーも讃えたパリ・コミューヌ闘士。労働運動、フェミニズム、無政府主義運動におけるシンボルで、 コミューヌ150周年の今年は特に彼女に関する本が多く出版された。1871年に発足したパリ・コミューヌ政権は無料、無宗教、女子を含む義務教育を実現したが、 教員のミシェルは前からそのような共和国理念に基づいた学校を開設していた。
パリの民衆の勢いにヴェルサイユに逃れていたアドルフ・ティエール政府軍によるパリ襲撃は、コミューヌ側に1万~4万(諸説あり)の死者、4万5千人の逮捕者を出し、5千人が流刑に処された。 ミシェルも捕らえられニューカレドニアへ送られる。 ところが彼女は現地の人たちと親交を結び、その言語を学び、習慣、武勲詩などを一冊の本にまとめ、新聞をつくり、彼らが仏政府に対して蜂起するとそれを擁護。1880年恩赦によりフランスに帰国するまで7年間滞在した。
帰国後も女性や労働者の運動について記事を書いたり、講演会を続けるなか、滞在先マルセイユで1905年に没した。パリ・リヨン駅に着く棺を迎えた群衆は10万人とも言われ、ルヴァロワ墓地まで棺とともに歩いたという。(集)

さて、それにしても思うのは(おそらくは誰しも思うことであろうが)、「よくもルイーズは死ななかったものだ」ということだ。
彼女は、口ばかりが達者で、戦いのはるか後方で偉そうに指揮してるような輩とは絶対的に異なる。まさしく前線で、自ら銃をとって何度も戦い、獄中にあっては死刑を宣告され、それをすすんで受け入れることさえしているのだ。死を恐れていないというより、いつ死んでも構わないという感じである。
それはルイーズと親交が深かったユゴーが軍事法廷で見た彼女の印象ー「君は墓場に接吻を送っているようだった」からも窺い知れる。
また、彼女を信奉するアメリカのアナキスト、エマ・ゴールドマンが次のように述べている。
「ルイズはいつも最も危険な地位を選び取ってきました。法廷では、同志たちの刑量と同じ犯科を要求し、女性のため有利になるのは軽蔑した。運動では喜んで死ぬ気でした。この英雄的な姿を恐れたのか畏敬したのか、パリのブルジョワジーは彼女を殺害できなかった。ニューカレドニアの刑務所でゆっくり死なせようとしたのです。」

つまり、砲弾も為政者も彼女を避けてとおった。
大仰な言い方をするならば、天がそのようにあらしめた。
要するに彼女が死ななかったのは、自由と人間の尊厳のために死んでいった有名無名の人々を代表し、「戦い」を継続するためであったように感じられる。
実際に彼女はニューカレドニアから戻った後、そのようにして残りの人生を終えた。すなわち、寸暇を惜しんで女性や労働者の運動に参加し、あるいは記事を書き、各地で講演会を続けた。
その行動の支柱となったのが、彼女が最後に到達した思想、アナーキズムである。
本邦では「無政府主義」と訳されることが多いが、一言(っていっても長いけど)でいうのであればこんな感じだ。
「国家や宗教など一切の政治的権威と権力を否定し、自由な諸個人の合意のもとに個人の自由が重視される社会を運営していくことを理想とする思想」
そんな思想を広げんがため、彼女は後半生を捧げた。
自分などは、数冊本を読んだだけなので、それがどんな思想なのか十分理解してるとは言い難い。けれども、他ならぬ彼女が身を挺して説いてまわったのだから、人間の幸福にとって、きっと良い思想なんだろう。

さて、ここで、まるっきり話は変わる、
みなさんご存知のように、自分は長年絵を描き続けてきた。
長年絵を描き続けてきたわけだけど、中でも女性の姿は、昔から好んで多く描いてきた。
見た人からよく言われるように、ほとんどが口をキュッと結んだ”気の強い”感じの容貌だ。
おそらく古くは少年時代に読んだ漫画、ちばてつやの作品に出てくる少女の姿が最初だったのだろう。
「番長、やめなさいよ!」と、弱いものいじめをする大男をすごい剣幕で怒って凹ます、小さく痩せた人間の姿に惹かれた。
ウルトラマンや仮面ライダー以上にかっこいいと思い、強い憧れを抱いた。
その気持ちはずっと変わらず、長じては、なんとか自分もそんな姿を描き表したいと願うようになった。
描いてたらものすごく気分がいい。
家にいながら、たらっと筆を動かしてるだけなのだが、彼女らと一緒に、威張る大男を怒鳴り散らし追い払い、砲弾をかわし敵陣に攻め込み独裁者の首をぶった斬ってる心地になった。
毎日、団地の六畳間で小さな革命を起こしてるみたいだ。
(ここめちゃ大袈裟ですまん)
そうやって気がついたら、年を追うごとにそんな女性の絵が増えていき、機会があれば展示するようになった。

今回の個展も、そんなふうにして描いた絵だ。
だから、ぱっと見は女性である一連の人物画の個展名にするのには、別にルイーズではなくとも、たとえばジャンヌ・ダルクやエマ・ゴールドマン、金子文子や高峰秀子であってさえよかったのだし、ヘイトの言動に抗うトランスジェンダーの誰かの名前でもよかったであろう。
だけど、冒頭書いたように”ルイーズ”が個人的には最も馴染み深く、愛着があったので、今回はそのようにした次第だ。

そんなわけなので、別にルイーズ・ミッシェルをあらかじめテーマとして設定し、それに合わせて絵を描いたわけではない。
彼女の思想や、生き方などにはなんら基づいてはいない。
それで、人によっては、巷に溢れかえるような美少女キャラやグラビアアイドルなどの写真やイラストと、それほど変わらぬ印象を与えるものも中にはあるかもしれない。
それはちょっぴり残念だけど、受け取り方は見る人それぞれの勝手なのでまったく問題はない。

ただ、ルイーズの生き方や人間性に心惹かれ、彼女を敬愛する気持ちは、他人に負けないくらい強く持っていると思う。
なので、自分が表現活動を行うなら、何がしかルイーズ的なものが、些細なものであれ、筆やペンの先から漏れいでて、作品に淡い影を落とすのではないかと思っている。
というか祈っている。
とっても楽天的だとは思うけど。

さてここで、冒頭に紹介した、かつては我が子らの従姉妹であったルイーズの話に戻る。
時はめちゃ早く流れ去り、彼女も今年はちょうど30歳。
数年前に黒人の男性と結婚し、去年は子どもが生まれたそうだ。
会ってきた息子曰く「めちゃ可愛い Métisse(ハーフ)やったよ!」
「おお、そうかー」
「名前は?」
「えっと、忘れちゃった...」
「忘れんなよ、名前は大事やろ~」

おしまい

あ、最後にもうひとつ。
今回の個展のチラシに使った海辺に佇む女性の絵について。
赤い水着の脇の部分に「ABC」と記されているが、これもちろんスニーカー屋さんのことではない。
ABC(フランス語読みでア・べ・セー)=l’Abaissé=「社会の底辺に生きる人」、つまりルイーズが常に共にあり、その幸福のために一生を捧げた「民衆」を意味している。
(ちなみにユーゴーの「レ・ミゼラブル」には、「ア・べ・セーの友」という共和主義の秘密結社が登場する)
って、そんなもん、言われんと誰もわからんですよね。