草花を描くなんて思ったためしがなかった。
そんなものは年寄りが描くもんだと思っていた。
三十過ぎて日本で初めて個展をやった時も、描いて展示してたのは人物画ばかりだった。
本の装丁をやってる友人が鍋島幹夫という詩人を連れてきた。
目玉がぎょろり、やたら生き生きとしていた。
地を這ったかと思うと、天空高く舞い上がりそうな目玉だ。
そんな眼で絵を続けざまに見ていった。
掛かってる絵はみんな、その両目にがぶりと喰われちまうんじゃないかと感じてびくびくした。
「こうじさんは、花は描かないんですか?」
見終わると、鍋島さんはそう尋ねた。
初対面で苗字ではなく名前を呼ばれたのにも驚いたけど、
それにも増して驚いたのがその声色だ。
丸くやさしく力強い...まるで花の球根みたいだ。
「えっ、花ですか...人物描くのは楽しいし、やり甲斐ありますけど、花は...」
そう返事をすると、ほほえんで、
「花も人もおなじですよ」
といった。
それから十数年たった。
鍋島さんとはなんとなく気持ちが通じて、ちょくちょく会うようになった。
いっしょに旅行にいったり、彼が校長を務める小学校で美術の授業をやらせてもらったりもした。
けれども、あいかわらず花を描くという気持ちにはぜんぜんなれなかった。
人物画の中にひとつふたつ描くことはあっても、それは必要にせまられ仕方なくやったものだ。
五十歳も近くなる頃、大切な人が続けざまに亡くなった。
これは実につらかった...
と、悲しみに沈んでいたら、無性に花が描きたくなった。
これにはびっくりした。
人が歳をとれば必然と、弔わねばならぬ人、花を献ぜざるをえない人が少なからず現れる。
年寄りが花を描くとは、つまり、こういうことだったのだ。
花を少しずつ描くようになった矢先、鍋島さんも亡くなった。
ガンになったかと思うと、特急列車に乗ったみたい、たちまちのうちに逝ってしまった。
結局、花の絵は一枚も見せずじまいだ。
今、花を描いて、描き終わると、たいていはまず鍋島さんに見せる。
彼の目玉は言う。
「こうじさんの花はダメですよ、それじゃあまだ食えないな」
と、いうことで、鍋島さんの詩をひとつ。
H氏賞(詩壇の芥川賞と呼ばれる)を受賞した「七月の鏡」(思潮社)から。
「チューリップのはやし」
チューリップ の はやし は
まど の そば の うえきばち です
きょねん そこ に
せみ を うめ まし た
つぼみ が しきりに くび を まげ
つち の におい を かぎ ます
せみ を のみこむ こんたん です
そう は させ ませ ん
わたし は くび を ねじっ て
むき を かえ ます
チューリップ の はやし を ぬけ て いき たい です
ほそながい しろい くき が さそい ます
チューリップ の はやし は
こんちゅう で も ない の に
むりやり
こんちゅう ずかん に いれ られる
その ような いきものたち の すみか です
だから
かぜ も ない の に
こだち は み を よじる の です
チューリップ の いろどり が
ささやき に かわっ たら
わたし は ふく を ぬい で
こだち の なか へ はいっ て いき ます
あの むしたち と いっしょ に
わたくず の ような す の なか で
ねむる の です