「今度、自分のギャラリーをオープンすることにしたっちゃん」
長年勤めていた老舗の画廊の店じまいの後、しばし充電中だった友達のミッキーがそう話し出した。
「まだ内装の工事中だけど、一度見に来てよ」
近くへ行ったついでに見に行くと、そこは子供らが飛び跳ねてる公園の前、郵便局が入った古いビルの二階にあった。
広くも狭くもない、いい塩梅の白い空間に明るい陽が差し込んでいる。
「どう...かな?」
「いい、いい、めちゃいい!なんかスンとしとる!」
「スン?」
「あ、つまり、いい気配が漂っとる」
「わあ、よかったー」
さて、その場所が今週末から個展をやることになったギャラリー「EUREKA(エウレカ)」だ。
オープンにあわせてFacebookも始めたそうだ。(あたし、SNSとかようわからんっちゃけどさ...といいつつ)
ところで、ギリシャ語で「見つけた!」を意味する感嘆詞である「EUREKA」を別の読み方で読み、その書名とした雑誌がある。
詩と批評を中心に文学、思想などを広く扱う芸術総合誌「ユリイカ」だ。
小説家や漫画家、映画監督などいろんな作家の特集を毎号行っていて、うちの本棚にも何冊か並んでいる。
で、1970代の前半にこの雑誌の編集長をやってたのが三浦雅士という人なんだけど、この人の名を知ったのは遅まきながら10年ほど前、白川静さんが亡くなった後、その追悼特集の本の中でのことだ。
いろんな人が寄稿してたんだけど、彼の文章がすっごく面白かった。
それであわてて何冊かその著作を手に入れた。
うわっ、白い表紙で分厚い本ばかり。
読むと、なんだかしち難しいことばっかり書かれてる。
書かれてるんだけど、その物言いが”かっちょいい”ので、「うひょお」とか唸ってるうちに数百ページ読み進んでしまってる。
たとえばこんなんだ。
「自殺とは自分を殺すことではない。自分以外のすべてに向かって、すなわち全世界に向かって死刑を宣告することである。人間の条件に否を唱えることだ。根源的であるとはそういうことである。
小林秀雄も太宰治もそういう地点から表現しているように見えたのである。「生まれて、すみません」という太宰の言葉は、世界に謝罪を要求しているのであって、その逆ではない。」
(「失うものは何もなかった...」青春の終焉 講談社)
うひょおーっ
つうか、本の装丁といい題名といいカッコつけすぎやろ...
とまあ、そんな三浦の雅士なんだけど、舞踊、とくにバレエに傾倒しまくってるもんだからこっちはたまらない。
カッコよさにつられ手当たり次第に読んでるうち、バレエなんて実際には見たこともない頭に、ベジャールにグレアム、ノノマイヤーといった固有名詞に彩られながら、パフォーミング・アーツの真髄みたいなものが、ずいずい注入されていった。
おかげで一時期、Youtubeでバレエばかり見る羽目になった。
と、そんなわけで、今回の個展の看板にはバレリーナを描くことにした。
(上の写真のコです)
話が長くてすまん。