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「冬個展2023のお知らせ」

昨年末に引き続き、福岡は大手門にありますギャラリーEUREKA(エウレカ )にて個展を行います。
今回展示しますのは未発表のアクリル画がおよそ50点。
近作の中から原始的で素朴、そしてワイルドな作品を選んでの発表となります。
それに加え、先頃上梓されましたアジサカのインタビュー本「そぞろに描く」の発刊を記念して、過去作品の中からの選りすぐりも20点ほど展示いたします。
個展タイトルにありますパライソとはスペイン語やポルトガル語において天国や楽園を意味する言葉です。響きがあたたかく昔から好きなので今回使うことにしました。
尚、会場におきまして件のインタビュー本と、その記念の手拭いなども販売しております。
初冬の折、散歩のついでにでもお越しいただければ幸いです。

会期:2022年11月11日(土)~2023年12月3日(日)
時間:13:00-19:00
休日:月・火曜日
場所:EUREKA 福岡市中央区大手門2-9-30-201
TEL:092-406-4555
※期間中毎週土・日曜、23日(祝)はアジサカが在廊しております

「そぞろに描く」

先頃、長崎の出版社よりインタビュー本が発刊になりました。

当地で活動するライターの藤本さんが、去年一年がかり、12時間以上かけて行ったロングインタビューです。
枚数にしておよそ200ページ、中にはプチ画集的な作品紹介のカラーページも盛り込んであります。
たわいもない与太話ではありますが、手にとっていただけますなら望外の幸せであります。
(初版特典として描き下ろしのポストカードが3枚ついてます)

「そぞろに描く  アジサカコウジインタビュー」
藤本明宏著 長崎文献社刊  定価1.980円(税込)A5判並製

最寄りの書店に注文していただくか、以下のオンラインショップなどでもご購入いただけます。

長崎文献社

楽天ブックス

amazon

「新旧作品展のお知らせ」

 今年初秋に発売されますインタビュー本「そぞろに描く〜アジサカコウジインタビュー〜」藤本明宏著 長崎文献社刊 の発売を機に、過去20年の制作活動を振り返る個展を行うことになりました。
 アクリル画作品の展示を初めて行った2003年より2023年までの作品を各年代ごとに2、3点ずつ、およそ60点を展示する予定です。
 展示会場となりますのは、長崎は丸山に今春新たに誕生したギャラリーで、歴史ある料亭・花月とは丸山公園を挟んで向かい合っております。
 2階が展示、1階はカフェのスペースになっております涼みがてらにでも気軽にお越しいただければ幸いです。

アジサカコウジ新旧作品展
「2003~2023」

会期:2023年9月2日(土)~9月24日(日) 
休日:月・火曜日(祝日は営業)
時間:11:30-19:00(日曜日は18:00)
場所:063 F A C T O R Y  
〒850-0904 長崎県長崎市船大工町3-7
TEL:092-737-7570
Instagram:@063FACTORY
HP:http://063factory.art

「夢みる人」

19世紀は帝政ロシアの思想家にアレクサンドル・ゲルツェンっていう人がいる。
生涯にわたり “反・専制” 、 “反・農奴制” の活動を行ない、ときに「社会主義の父」と呼ばれたりする。
(ちなみに自伝がめちゃ面白くて、ルソーの『告白録』と並び称される)
この人が残した言葉で、胸がとっても熱くなったものがある。

「人々を動かすことは、その人たちの夢を、その人たちが自分でみれる以上に、はっきりと夢みることによってのみできるのであって、幾何の定理を証明するように、彼らの考えを証明してみせることによってできるのではない」

っていうのがそれだ。
この言葉に触れた時、西郷さんのことを思い出した。
西郷が”夢みる人”であったからだ。
西郷は夢をみた、と思う。
”はっきり”かどうかはわからないけど、”強く”、”遠く”にみた。
そして、その夢(=理想)の高さ、遠さ故に、数万の人が動き、
遠さ故に、敗れ去ったのだという気がする。

ここで参考に、めちゃ古いけど、竹内好の言。

「ひじょうに暴論ですけど、国家建設ということをいちばん大きな課題に置いた代表を大久保とすれば、この大久保に対立した西郷は、国家建設というものよりは別のものを目標にしたという感じがするのですがね。人間ということばで言っていいかどうかは問題だが、要するに人間が主であって国家は手段である、国家だけをりっぱにしてもだめなんだ、人間が幸福になり、社会生活が円満に営まれる様にしなければ行かぬという別の目標があったのじゃないかという様な気がする。」
(1970年、鶴見俊輔、色川大吉との明治維新をめぐる対談)

さて、続いてはいきなりゴッホ登場。
語るは小林秀雄です。
理想=夢としてお読みください。

「理想家という言葉は、ゴッホに冠せるには弱すぎる。というよりも所謂理想家は、自分の身丈に合わせた、恰好な理想論を捕らえるものだが、そういう理想ほど、ゴッホに遠いものはなかった。寧ろ、理想が彼を捕え、彼を食い尽くしたのである。理想に捕えられ、のたれ死にまで連れて行かれたトルストイは、理想の恐ろしさをよく知っていた。彼の定義に従えば、理想とは達することの出来ぬものだ、達せられるかも知れぬ様な理想は、理想と呼ぶ様な価値はないのである。(中略)スピノザもまた、別の言葉で理想を同じ様に定義している。『神を愛するものは、神から報酬を期待する事は出来ない』と。」

つまり、常に負け戦(いくさ)ってことだ。
ほんとうの、真の理(夢)想家は必ず敗者となる。

しかしながら、負けたがゆえに、その見事な負けっぷりが、
同時代人だけではなく、未来の人をも動かす。
永遠に動かすのだと思う。

夢を遠くにみて死んでいったゴッホや西郷、田中正造に中村哲...
彼らのおかげで、彼らがみた夢を糧として、今もなお我らは動く、絵を描き続ける。

我らが死んだとしても、その子どもたちが動くだろう。
その子どもたちが死んでも、またその子どもたちが...

実にありがたいことだ。

と、カッコつけた大業なことをのたまっておりますが、
長崎春個展の詳細は以下。
よろしく!

アジサカコウジ春個展2023
西郷さんシリーズII
「ETERNAL DREAMER~久遠の夢想家~」

日程:2023年4月1日(土)~23日(日)
( 会期中の金、土、日)
時間:13:00-19:00
場所:List:(リスト)
長崎市出島町10-15 日新ビル202
TEL :080-1773-0416

*会期中はたいてい在廊しております。

「小さきものの死」

十九の春、大学2年生。
熊本は銀座通りの紀伊国屋書店にプロレスか卑猥な雑誌を立ち読みしに行った帰りしなのことだったと思う。
出口に向かって歩いていたら後ろからぐいと両肩を掴んで引き寄せるものがある。
誰だ!と振り向いたらそこには人ではなく本が立っていた。
「日本コミューン主義の系譜」って書いてある。知らない人の本だ。
本に呼ばれる経験をしたのはそれが初めてのことだったので、これは何かあるに違いないと思い、迷わず買った。
家に帰って早速読み始めた。
大学の授業以外でそんな固い本(思想書とかの類い)はあんまし読んだことなかったので、なかなか頭には入ってこない。理解するのが困難だ。
だけど、どういうわけだか、心はドキドキワクワク、ページめくるたびに胸元あたりに雷鳴が轟く。
つまり、この作者、渡辺京二の語り口にやられたのだ。読んでてものすごく心地いい。

それで、その当時(30年前くらい)手に入る彼の本を可能な限り集めた。
おそらく、語り口はもとより、その思想が自分の性分に合っていたのだろう。どれを読んでも面白かった。
彼を介して、宮崎滔天や北一輝、ドストエフスキーやパステルナーク、それまで名前さえ知らなかったような人々をよく知るようになった。彼らが己が身のすぐ傍で息をするようになった。

さて、ある日のこと大学の研究室で彼の本の一冊を読んでいると、学部の先輩のひとりが近づいてき「あ、それお父さん」と言った。
彼女、渡辺さんの娘だったのだ。
「父の本なんて読む人少ないから、きっと喜ぶわ...」

と、そんなわけでしばらくして熊本市内にあるお家にお邪魔しておしゃべりしたり、彼が作家の石牟礼道子さんらとお寺でやってる勉強会なんかに時々顔を出すようになった。
イリイチ、バタイユ、オング、ウォーラーステインに見田宗介...会で取り上げる本は、難しいけどなんでかしらんどれも面白かった。
勉強以外も、当時、講義なんかでよく使われていた光学機器を「おーばーへっど...」と不思議そうに見る石牟礼さんに渡辺さんが「ああた、”オーバー”は”上”、”ヘッド ”は”頭”。頭の上を通ってモノば写す機械たい」と説明するのを傍でニヤニヤしながら聞いていたり、勉強会の後、檀家さんや不登校の青年など寺に集う人々交えて行う飲み会に参加するのも楽しかった。

のち、福岡に住みながら都合の良い時だけ熊本に行ってると「電車代は私が出すから毎週出て来んね」と渡辺さんに言われたことがあった。
その時は「本業(絵描き)があるので...」とスーパー生意気かつ横着に辞退しつつも「おお、自分のことを買ってくれてるのか」と内心喜んだけど、同様の物言いを他の青年らにもされていたことを伝え聞くなら、何のことはない、己に多少なりとも共鳴してくれる若輩者が珍しく、不意に体をすり寄せてきた野良猫みたい、ただ無性に可愛らしかったのだろう。

さて、上に掲げたのはそんなある日、「うちに一冊残っとったのであなたに差し上げます」と言ってくださった彼の最初の著作「小さきものの死」の表紙ウラだ。(”太田”はアジサカの本名)

たとえサインがなくとも、知らない人が書いていたとしても、一冊の書物としてその中身が自分にとっては一番大切な本である。
繰り返しになるが何故かしら性に合っていたのだろう、この本を起点としてやたらと自分の世界が広がった、つうか深まった。